「 暖かい手 」








 大晦日。

 紅白を途中まで見て、合間に出てきた若手芸人による曲紹介を名残惜しみつつ、ナルトはテレビを消した。

 黒い画面を振り切るように立ち上がり、隣で蜜柑の最後の一切れを口に放り込んだサスケを立たせるために炬燵のスイッチを切る。

「ほら、出かけようってばよ」

「ん…ああ……」

 サスケは少し眠たそうな顔で頷くと、のろのろと炬燵から足を出した。そして耳の後ろをぽりぽりと掻いて、普段からはあまり見ることのない欠伸すらして見せた。

 少し酒が入っているからだろうか。晩酌として二人で煽ったのは、先日の国外任務の際にサスケが手土産として持ち帰った地酒だった。少し辛口の、けれどさっぱりとした味が心地よく、一時間と経たないうちに一瓶を空けてしまった。

「大丈夫?」

 少しだけ眉根を寄せて見下ろすと、サスケは消えた画面を十秒近く見つめ、ゆるりとナルトを仰いだ。眠そうに潤んだ黒い瞳に、意味もわからず首の後ろが熱くなった。

「サスケ?」

 気恥ずかしいのを隠して名を呼べば、サスケは溜息のように「ああ」と頷いて、緩慢な動作で立ち上がった。ふらつきはしないが酔った感の否めないその様子に、今度はサスケを見上げることになったナルトは、このまま寒い外へと出かけられるだろうかと頭の隅で杞憂する。

「行こうか」

 低く、酒気で熱を帯びた声が囁いて、暖かい炬燵から出ているのに、頬が熱さを増した。サスケを見上げることが出来なくなって、ナルトは小さく頷くのをきっかけに俯いた。










 吐く息が白く月明かりに浮かぶ。

 コートを着てマフラーをして手袋も嵌めて、なのに冷気は身体中で感じる。酒が入っているお陰か耐えられないほどではないが、冷気は身に染みた。露出している顔が風を受けて冷たい。

 すん、と鼻を啜ると耳が痛かった。そっと手袋で両耳を覆うと、遮断された空気で冷え切って痛いのだと実感する。

「何してんだ?」

 隣を歩くサスケが横目で苦笑する。首のあたりが落ち着かない。肩を縮こまらせるのは寒さのせいだと言い訳をして、ナルトは唇を尖らせた。

「耳、冷たくて痛い」

 呟くと、サスケは目を眇める。唇から吐き出した息が、肩の上を滑っていった。

 サスケの手がゆるりと黒いコートのポケットから出てきて伸ばされる。目を見張っている間に指先が耳に触れて、その指の温かさに冷えた耳が驚く。

「冷たいな」

 じわりと染み込むようにそこに熱が移って、ナルトは口を開けていいのか閉じていいのか判断に迷った。

「み、耳当て…」

「ん…?」

「今度、耳当て、買う」

 口から転がり落ちた言葉は我ながら頓珍漢な科白で、冷気で冷えているはずのコートの背中が寒さを忘れた。一体どうしたというのだ、自分は。

「買ってやろうか?」

 ナルトの動揺を見抜いたように苦笑する様は意地が悪い。口元を手袋の甲で覆って、指先から逃れるように顔を逸らした。

「いいってばよ…自分で買うから」

「拗ねるな」

「拗ねてねぇ」

 くくっと咽喉を鳴らして笑うのが聞こえた。静かな夜道だから聞こえるのだ。二人分の靴音とお互いの吐く息の音と風が吹きぬける音しかしない。だからサスケの咽喉が鳴るのがこんなにも耳を突くのだ。










 目指した鳥居の端が夜空の下辺に見える頃には、人波がそぞろにあった。

 この寒い夜に酔狂な人間は自分たちを含めてもそれなりにいるらしい。各々重装備の冬着で背中を丸め道を歩いている。

 家族連れ、恋人同士、若者の集団、それらが言葉とお互いにしかわからない微笑を交わしている。それはさざめきのようだ。時折強く聞こえ、耳を澄ませば判別できないほど小さい。

 厳かな音が響き渡ったのは、ナルトがちょうど数メートル前を歩く恋人たちの背中を見ていたときだった。

 除夜の鐘の音だ。

 音の響きが消えると同時に二つ目の音が打たれた。同じ鐘を突いているのに、一番最初の響きとは違うように聞こえる。三つ目が鳴らされたのもそうだった。同じ音は存在しないのだろうか。

「百八つ、鳴るんだよな」

 ぽつりと呟いた声は、自分で思っていたよりも小さな声になってしまった。サスケには聞こえなかったかもしれない。

「ああ、坊さんが突くんだろ」

 言い直そうか思案している間にサスケが返事をした。軽く目を見開いて振り仰ぐと、サスケは普段と変らない無表情だった。

 鐘の音や周りのさざめきに紛れてしまうような声だったのに、どうして拾えるのだろう。平生と変らない無表情から何を思っているのか汲み取れないのが口惜しい。

 なんとも言えずサスケを見つめているうちに、足元がおろそかになってしまった。躓いたのだ。

 はっとしてバランスを取ろうとして、強い腕に前のめりになった身体を支えられた。

 サスケのほうが酔っているはずなのに、こんなところだけちゃんと反応するところが不思議だ。

「何やってんだお前」

 呆れたようなサスケの声にかっと背中が熱くなった。地に足がついたところで邪険に振り払い、顔を背けた。顔を見られたくない。

「今年も最後までドベだな」

「ドベゆーな」

「お前らしくていいって誉めてんだ」

「白々しい嘘つくなってば」

 横目で睨むと、やはりサスケはくくっと咽喉で笑った。











 そろそろ百を越える鐘の音が鳴る頃には、サスケとナルトは鳥居をくぐった。

 緩やかな足並みの人々の間を乱すことなく歩く。いつもだったらこんな速度で歩いたりしない。サスケは早足だし、それに合わせると必然的にナルトも早足になるのだが、不満に思ったことはなかった。

 けれどサスケは今、緩やかに歩く。それはきっと酔っているからだろうけれど、まるでそれが気遣いのように思えて、妙にむず痒かった。

 先ほど前を歩いていた恋人たちも同じ速度で歩いていて視界には映りっぱなしだ。

 知らず大きく息をつく。ちらりとサスケがこちらを見たのがこれまた視界の端に映った。

 境内の砂利を踏み、賽銭箱が人の背中越しにちらりと見える。見上げると朱いかがり火に浮かぶ陰影の深い社とその遠くに月が目に映る。

 大きく境内の向こうから鐘の音が聞こえる。近づくごとに深い響きが空気を震わせ、振動が厚着をした身体にも伝うようだ。

 重い響きだ。

 前を歩く恋人たちが社の石造りの階段を上がった。また鐘が響いた。

 もう一つ鳴るのだろうかとぼんやりと待っていると、鐘の音はもう響かなかった。どうやら最後の百八つ目だったらしい。

 サスケが右腕の袖を捲くった。手首の腕時計を見下ろしている。

「十二時だ」

「もう?」

「ああ。―――明けましておめでとう」

 低い声が緩やかに言う。はっとサスケを見上げると、サスケはこちらを無表情に見下ろしていた。けれどその無表情の中に長年の付き合いでなければ見落としてしまうような穏やかな黒い瞳を見つけた。

 どうしてかナルトはすぐに言葉を発することが出来なかった。

 がらがらと大鈴を鳴らす音がして、かしわ手を打つ音がする。周囲のざわめきが一層濃くなった気がして、そこかしこでおめでとうと言う言葉が聞こえる。

 ひょうと風が強く吹いて、それがナルトの顔を横から殴った。冷たくて軽く目を瞑り、目をあけると同時にすんと鼻を啜ると、大きな手がナルトの肩を押した。

「え?」

 押されながらサスケを見上げて状況を飲み込めないでいると、サスケはナルトのほうでなくもう前を向いていた。

「前、空いた。次の次だぞ、順番」

「あ、ああ」

 促されるまま石段を一段登る。サスケの挨拶に返すタイミングを失って、どうしようと思いながら手袋をとった。手袋をしたままかしわ手を打つのは不自然で祈る神に無礼だと思ったからだ。

 外した手袋をコートの中に突っ込むと、ポケットは不恰好に膨らんだ。

 がらんがらんと大鈴が鳴る。小銭が後ろの方から飛んできて、賽銭箱に固い木の音を立てて入っていった。財布を出さなければと気付いて手袋を突っ込んだのとは逆のポケットから財布を取り出す。

 小銭を二つ取り出して財布をもとの通りポケットに仕舞う。

 一つは左手に、一つは右手に握って前を向いたままのサスケの袖を引く。

「なんだ?」

 ナルトを見下ろしたサスケに右手の拳を突き出した。

「ほら、手、出せってば」

「手?」

 言いながら差し出されてた大きな手の平に右の拳を重ねて開いた。少しだけナルトの体温を奪おうとしていた冷たい小銭が転がり落ちて、サスケの手の平に乗る。

「賽銭」

 言うとサスケは納得したように頷いて、それを大人しく受け取った。

 がらんがらと大鈴が鳴る。それを聞いてナルトとサスケはもう一段石段を登った。前にいた恋人たちがかしわ手を打って十秒近く無言で互いに祈っていた。何を祈るのだろう。

 そう思って、自分が何を祈るのか考えていなかったことにナルトは気付く。初詣には祈りよりも今年の目標を捧げたほうがいいと言ったのは誰だろうとも頭の隅に浮かんだ。

 でも、目標にしろ願い事にしろ、何を祈ったらいいのだろうか。初詣に行こうと酒を酌み交わしながらサスケを誘ったのはナルトだった。なのに大鈴を鳴らして何を願うのか考えていなかったのも事実だった。今更ながら迂闊だったと悔まれる。

 ちらりとサスケを横目で見ると、前の恋人たちが祈りを終えて賽銭箱の前から離れようとするのと同時にサスケは石段を登ろうとしている。

 サスケはいったい何を願うのだろうか。ナルトも石段を登り賽銭箱の前に立ち、左手に握った小銭を投げて思案する。本当に今更だ。

 思案しながら大鈴から垂れている太い縄に手を伸ばす。サスケも同じように、ナルトの手の少し上で縄を握った。一緒に揺らすが力の方向が違うため、大鈴は一度音もなく揺れた。

 なんだか可笑しくて、口元が緩んだ。横を見るとサスケも同じように口元を緩めてナルトを見ていた。

 今度こそ同じ方向に揺らすと、がらんがらんと大鈴が鳴った。それを合図に縄から手を離し、二人してかしわ手を打つ。

 サスケは一体どんなことを願うのだろうか。頭の隅で思いながら、ナルトは開き直って目を瞑り、ありきたりな、けれど己の中で大事なことを心の中で願った。

 ―――どうか今年も、これからも。












 目を開けて石段の上を右の方へと歩いて賽銭箱の前から離れた。石段を降り始めるとナルトの後ろに並んでいた家族連れが賽銭箱の前に詰めて賽銭を投げたのと、サスケが左方向へと賽銭箱の前を離れて石段を降りているのが視界に入った。

 石段の前に列をなす人々は多くいて、お互いの姿を確認しながら列の切れ目を探す。早くサスケの隣を歩きたかった。

 境内に入る門の手前まで人々は列を成していて、自分たちがそう待つこともなく初詣を済ませたことを考えると、自分たちは早いうちにここへ辿り着いていたのだろうことがわかる。人の群れはまだぞくぞくと集まってきている。

 境内からまた石段を下り砂利道へと降り立つ。足元で石同士がナルトの体重で擦れ合う音がして、ようやく列の切れ目を見つけてサスケのほうへと足を向けた。

 隣に並ぶとほっとした。

 露出した顔や耳は相変わらず冷たかったが、もう随分と冷気に慣れた。ほうと息を吐くと、かがり火で白い息が橙色に染まって見える。

「何て、お祈りした?」

「―――言わねぇよ」

「なんで?」

「願い事は人に言わないほうが叶うんだ」

「そうなん?」

「ガキの頃、そう聞いた」

「ふうん」

 頷いて緩やかな歩調で歩く。このまま帰るのは惜しいような気がする。目的は済ませたはずなのに、惜しいという思いは鳥居が近づくほどに強くなった。

「破魔矢とか、買わないのかってば?」

 思わず口にすると、サスケは急に立ち止まった。首を傾げて見上げると、サスケは珍しく頬まで緩めて苦笑した。

「忘れてた」

 そのままくつくつと咽喉を鳴らすので、ナルトは何故だか嬉しくてくつくつと咽喉を鳴らした。

「じゃあ、戻ろう。お守りとかも欲しいし」

「家内安全とかか?」

「何で家内安全なんだってば」

「そりゃ、俺とお前の家だからだろ」

 くつくつと珍しく笑うサスケが言った言葉に目を見開くと、サスケは少し悪どい笑みを口元に浮かべた。これは時々見られるもので、サスケがナルトをからかうときに主に浮かべるものだ。

「お前がしょっちゅう暴れるから、ボロ屋がいつまで耐えられるか心配なんだ」

「…それ、絶対誤解だし、家内安全の意味とも違うと思うってばよ」

「いいだろ、別に」

 唇を尖らせると、サスケはくつくつとまだ笑いながら境内を振り返った。境内の隅でお守りの類が並べられていたのだ。

 再び境内に向かって歩き出し、まだ人が列を成している石段の隅をサスケが前を歩いて境内に足を踏み入れる。後から続いたナルトも、人々のさざめきを聞きながら境内に足を踏み入れた。

 サスケの後を追って少し駆け足で隣に並ぶと、すぐそこに破魔矢や絵馬、お守りなどが陳列してあり、その奥に巫女姿の少女たちが立っていた。

 サスケはその中から干支の絵が描かれた絵馬の下がった、三番目の値段の破魔矢を手に取り、そして本当に家内安全と書かれた熨斗包みのお守りを手に取った。

「それ、ほんとに買うの?」

 眉をしかめて問うと、サスケは「ああ」と頷いて勘定を払った。釈然としないながらも、ナルトは健康祈願と書かれた熨斗包みのお守りを手に取り、勘定を払った。

 白いビニール袋にまとめられたそれらをサスケが右手で受け取り、その場を離れようとするのでナルトは並ぶように後を追った。











 今度こそ境内を降り、砂利を踏みしめながら鳥居をくぐる。

 見上げた空は黒くて所々に白く輝く星があって、その星の輝きを消すように光を放つ白い月が浮かんでいた。

 綺麗な夜空だと思う。

 このまま帰るのが惜しい。酒気の残る身体は冷たい空気に慣れてしまって、サスケの緩やかな歩調は変ることなく心地よい。

 まだこのまま浸っていたい。

「手袋、嵌めないのか?」

 深い声が隣から降ってきて、はたと気付く。そう言えばかしわ手を打つ前に外してポケットに突っ込んだまま、手袋の存在をナルトは忘れていた。

「あー…忘れてた」

 正直に言って隣を見上げると、サスケはそうかと頷いて黙った。

 存在を思い出したからとて、手袋を嵌める気にはなれなかった。

 指先に感じる冷気すら清浄のもののようで、このまま晒されていたい気持ちだった。

 ほうと丸く息を吐いた。背後に遠ざかった鳥居の奥からの灯りで息は白く霞み、そして暗闇に紛れるように消えた。

 両手を広げて、胸いっぱいに冷たい空気を吸い込む。吐き出す。それを数度繰り返すだけで身体に篭っていた何かが入れ替わった気がする。重い鐘の音が揺るがした煩悩かもしれない。

「手、」

「え?」

「貸せよ」

 掛けられた言葉に隣を振り仰ぐと、サスケが目を軽く伏せてナルトの広げた両手の片方を掴んだ。ビニール袋を持っていないほうの手だった。

「冷えちまってるな」

 呟いたサスケの手は思いもかけず暖かい手だった。サスケが何も持たず、ポケットに入れていたほうの手だったからだろう。

 ぎゅ、と力が込められるので、ナルトは顔を伏せて嘆息した。

 どうしてだろう。どうしてサスケは、望むものを容易く与えてくれるのだろうか。

 どうしたら。どうしたらナルトは、サスケの望むものを与えることが出来るのだろうか。

 先ほどの光景が閉じた目蓋に浮かぶ。前に並ぶ手をつないだ恋人たち、かしわ手を打って神に願った自分、サスケが家内安全のお守りを買おうと言って咽喉を鳴らす様。

「ナルト?」

 俯いたからだろう。サスケがどうしたのかと名を呼ぶ。

 繋いでいる意外なほど暖かいサスケの手を見下ろして、自然と目に入る自分の、サスケよりも僅かに小さな手を見下ろして、ナルトはもう一度大きく息を吸って、吐いた。

 顔を上げると、やはりそこにはサスケの無表情な顔。黒髪の大半は夜に紛れて、でも寒風に揺れて確かに見える。

「暖かい」

 素直に口にすると、無表情が崩れた。照れくさそうに秀麗な口元が緩んだ。

「お前が手袋嵌めなかったからだろ」

 低く呟いた声音が、冷え切っている耳に心地よかった。

 自然と頬が緩んだのを自分でも感じた。

「うん。―――サスケ、明けましておめでとう」

 脈絡がないとわかっていながら、先ほど言いそびれた言葉を口にする。するとサスケは拍子抜けした顔を一瞬して、けれど微笑んだ。確かに。

「ああ。明けましておめでとう」

 繰り返してくれた言葉に、頬に刻んだ笑みが深くなるのをナルトは止めようと思わなかった。

 心地よいのだ。

 繋いだ手も、そこから伝わる体温も、緩やかな歩調も、心地よくてこのまま続けばいいと願う。

 ―――どうか今年も、これからも。

 冷たい風が強く吹いた。

 冷気は着込んだ身体に染みて、正面から受ける風に露出した顔は冷たい。

 けれど繋いだ手だけは、どうしてか表面が冷えるのに、それを寒いと感じないほど、暖かかった。












 END.





     明けましておめでとうございます。
     今年も薄味(一部濃い味)全開でサスナル駄文を書いていこうと思います。
     どうぞ皆様にとって今年2006年が良い年でありますよう。
     kaname拝  2006.1.2

     (蛇足:こちらは一月八日までフリーとさせていただきます。お気に召されましたらどうぞ)



 
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