修行の為、里を出てから迎えた最初の冬だった。
「お前はもうちっと自分のコトをみれるようにならんといかんのぉ」
呆れたような、馬鹿にしたような口調でそう言ったのは師匠であるエロ仙人だ。
カカカッと完全に馬鹿にしたように笑われても、その声に優しさがあるから本気で腹は立たない。
が、一応言い返しはする。
「もー!イキナリなんだってばよ。ねーちゃんの裸とかばっか見てるエロ仙人にいわれたくないってば」
「かっわいくないの〜〜〜。せっかく人がコレをやろうと思ったのに」
「何だってば?」
「ホレ」
ちょんと首を傾げたナルトに渡されたのは淡い橙色をした手袋だった。
「指の先が赤くなって今にも切れそうで見とるこっちが痛いわ」
放任主義である自来也はナルトを滅多に構ったりしない。己の事は己で、なんてしのびの基本中の基本でもある。だが、肝心な時、ちょっとした事でナルトの精神をふっと暖かくさせてくれる。
とーちゃんがいたらイルカ先生みたいなんだろうなと思うが、もしじーちゃんがいたらこんな感じだろう、と時々思う。
「…へへっ。サンキュー、エロ仙人」
甘やかされる事に慣れていないナルトは、ほんの少しの照れを隠すような軽口を返した。
ごわごわせず、手にぴったりと丁度良いそれはクナイなどを握るにも差支えがなく、暖かかった。
「大体、里を出るときに手袋一つ持ってこんとは抜けとるのぉ」
抜けてるんじゃなくて無かったんだ!と言い返そうとして、不意にそれは喉の奥で詰まる。
違う。
持っていなかったんじゃなくて忘れていたんだ。
ずっと必要なかったから。
下忍になってから僅かではあるが収入もあったし、ナルトの手の冷たさを心配してくれた仲間もいた。
だから手袋は持っていた。
けど使わなかった。
手袋よりも暖かいものがあったから。






手袋





ばさっと、しならせ受け止めていた枝よりも厚みのあった雪が落ちた音に、ナルトはびくりと反射的に肩を震わせた。
だがナルトが通った時と同じく、静寂と白だけの世界が広がるだけで何も無い。
里の外れからさらに獣道に入らなければいけないこの森は冬になれば人はおろか、春ならばたまに出会ったりすることがある動物すら見かけることが少ない。
だからこそナルトはここに来ていた。
昔からここを秘密の修行場にしている。
外したクナイで誰かを傷つける心配も無く、演習場で修行しにきた子供を迎えに来た大人と会う事の無いこの場所を。
今までここに通っていて誰かと出会ったことなんてない。
誰も。
「いるわけねーよな」
「誰がだ?」
「―――――ッ!!」
振り返っていたナルトの背後、つまりは正面の方からした突然の声にナルトは無音の悲鳴を上げた。
激しい収縮を繰り返す心臓の上の服を掴みながら前を向くと、白い世界に浮いた黒がいた。
「サスケ…」
あるはずもないと思っていた自分以外の存在の突然の出現に受けた驚きは、見知った人物だった事への安堵に変わり、その人物への訳の分からない腹立たしさに変わる。
「おまっ、イキナリ声かけるんじゃねーってばよ!びっくりすんだろー!」
「何もしてないやつに声かけんのにいきなりも何もあるかよ。そもそも忍のクセに気配が分からねぇお前がドベなだけだろ」
「ドベいうな、バカサスケ!」
「ハッ!ドベのテメェにバカと言われる筋合いはねぇ、ウスラトンカチ」
青と黒の眼が一瞬たりとも逸らされず、強い意志をぶつけ合い、糸を張ったような空気が睨み合う二人の間を満たす。
いつものお約束とも言える展開に、二人をよく知る上司がいたら「お前達ホントーに仲良しさんだねぇ」などと言ったに違いない。
「オレはウスラトンカチじゃねぇ」
「自覚が足りねーようだな、ウスラドベ」
「ドベじゃねーって言ってんだろ!」
「上等だ!」
しゅっと、ストレートを繰り出したナルトの右手を掴むと引き寄せ、バランスを崩させたサスケはすかさず左から蹴りを入れる。
意図せず行う事となった、かなり本気の乱取り、体術の練習が終わるのに小一時間ほども要してしまうのだが。
お約束のお約束過ぎる行動を止めてくれる人物はここはいない場所だった。


互いに汗をかくほどに熱くなった身体を雪の上に投げ出して、荒い息を整える。
「だ、だいたい、何でサスケが、はぁ、はぁ…こんなトコいんだよ。ココは、俺の修行場なの。用が無いなら帰れってばよ」
「いつ、だれがここをお前専用なんて、決めたんだよ。それに用が無いなんて言ってねーだろ」
「へ?サスケなんか用事?ひょっとしてこの先になんかあんの?」
がばっと起き上がってナルトはサスケの顔を覗く。
ずっとここに通っているがこの先には国外へ通じる少々危険なルートの森しかなく、サスケはたまたまここに入り込んできたものと思い込んでいたナルトは、何も聞かず喧嘩になだれこんでしまって時間を取ってしまったのがマズかったのではと、少々不安になる。
喧嘩の原因を作ったのはあちらなので謝る気はないが。
だが覗きこんだサスケの顔はどことなくバツが悪そうなだけで、困った様子というのではない。
「なぁ、サスケ?」
「…か、カカシが!カカシからお前に伝言だ。今晩からまた大雪が降るから風邪ひかないようにしろって。それと指先が切れそうなら手袋の一つでもしろ」
同じように起き上がると、視線を逸らし、早口に捲くし立てた。
とても不自然なのだが、こんな時ナルトの天然というか、見事なまでの鈍さが発揮されてそれに気付く事はない。
「そっか。そんなん任務中に言ってくれたら良かったのに。あ、言い忘れたから伝言なんかな?でもオレってば身体ジョーブだし、すぐ治るし、カカシせんせーってばそんな心配してくれなくてもいーのに…」
心配してくれなくていい、と言いながら照れくさそうにはにかんだナルトはやはり嬉しそうで、見ていて胸がぎゅっと締め付けられるような、甘酸っぱい気持ちにもなるが、ナルトの感謝の気持ちはカカシに向けられていると思うとサスケは苛立たしさがそれらを上回ってしまう。
明らかな嫉妬だと自覚していて、その嫉妬を作りだしたのが自分の嘘というのが最早滑稽ですらある。
どうしてこういつも上手く行かないんだ。
本当はカカシにそんな伝言など頼まれてはいない。
任務中もこの寒さの中で、白いナルトの手が真っ赤になって今にも切れそうなのがずっと気になっていたのはサスケ自身だ。
ただその手が気になり、この雪の中山に入るナルトの後を追ってしまい、一言言ったら帰ろうと思っていたのに。
いつも通り怒らせて、喧嘩をして、向けた心配を素直に言えず、日頃からムカついている奴の好感度を上げてしまった。
ナルトと剥き出しの感情をぶつけるのが嫌いなわけじゃないが、喧嘩をしたいわけじゃない。
いつも悪態を吐いてしまうが嫌っているわけではないのだ。
むしろその逆で大事な存在だと認めてしまっている。
決して言えはしないが、大事に護りたい、大切にしたいと思っているのに。
生来の己の性格が災いするのはこれで何度目だろう。
数えだしたらキリが無いうえに、その回数の多さにさらに精神が沈む事は容易に想像され、考える事を早々に放棄する。
「アリガトってば」
沈んでいた思考などあっさりと掻き消されそうな愛らししい笑顔が向けられ、一瞬浮き上がったような気分を味わうがすぐに虚しくなる。
ナルトが礼を言ったのはカカシなのだ。
「…ンなの本人に言えよ」
言われて困るのは嘘をついたサスケであるのだが、素直に『カカシの代わり』を出来るほど精神的な余裕などサスケには無かった。
だが苦い想いで笑顔を受け取らなかったサスケにナルトはきょとんと目を瞬かせた後、ふるふると頭を振って否定した。
「違うって。サスケに言ってんの。わざわざこれ言うためにこんなトコまで来てくれたんだろ。サンキュ」
普段喧嘩ばかりで、意地を張り通しているサスケ相手に素直にお礼を言う事など滅多にないせいか、ナルトの頬は赤かった。
ついさっきまで動いていたためでも、外気の低さに体温調節が行われたのが理由でない、照れからくる恥じらいに染めたその顔にサスケの方がずっと赤くなる。
それこそ耳まで真っ赤に。
雪の上に倒れた時よりも心臓が速く動く。
酸素を身体中の細胞に運んでいるはずなのに息苦しくさえ感じて。
滅多に貰えないナルトからの素直なお礼に何も言えなかった。
「そーいえばさ!サスケも手袋とかしてねーよな」
どことなくこそばゆい空気に耐えられなくなったナルトが話の矛先をサスケに向けた。
「必要がねぇからな。俺はお前みいたいに指先の皮膚が柔らかくないから切れる心配もない」
「でも寒いじゃん」
「必要ならする」
「寒いのに必要ねーの?変だってば」
「ならお前はどうしてしてなかったんだよ、今まで。寒いならとっとと着けとけよ。任務中に指先がかじかんで先の神経が鈍ったりしたらどうするんだ」
寒い思いをして欲しくないという本音は当然言えず、こんな台詞しか出てこない自分にサスケはまた嫌気がさす。
「持ってねーから。買うのも、どこで買えばいいか分かんないし。売ってくれる店とか」
返ってきた言葉を聞いてさらに自己嫌悪は深くなった。
さらりと何でもないといった風に言うナルトは取り立てて辛そうな顔も、困った顔もしていず、特に表情は浮かんではいない。
無表情というのが一番近い顔だ。
普段、本当に忍かと分かっていても疑わずにいられないほど感情を剥き出しにしているナルトの顔に感情らしい感情がない。
悲壮感などまるで漂わせてなどいないこの無表情が堪らなく、サスケを痛めつける。
こんな顔を見たくて追いかけてきたわけじゃない。
「なら、やる」
咄嗟に口を突いて出た言葉にナルトは目を丸くしてサスケを見た。
「へ?なにを?」
「手袋」
「サスケが?」
「ああ」
「オレに?」
「そう言ってる」
「って、ちょっ」
簡潔にもほどがある単語だけの会話の後、言い出しと同じく唐突に立ち上がり、引いたナルトの手は思っていたよりもずっと冷えていた。
「冷てぇ」
「なら離せってば…てかナニいきなり人の手掴んで」
「いいから行くぞ」
「ハナシ聞けってばー!」
見てる方が寒いからと言い訳をして、掴んだ手をそのままポケットに入れ家まで歩きだすサスケに、結局何を言っても聞き入れられないと悟る。
すぐに手は温くなり、ぽっと熱が篭りだしたけれどどうしても離せなく、そのまま歩き続けた。
そうして貰った手袋を使うことはあまりなく。
忘れていっても手袋代わりのサスケのポケットの方が手袋より暖かいなんて思ったから。


「あーーーーー!!エロ仙人ナニすんだってばよ!?」
大声を上げて抗議しているナルトに自来也は痛くも痒くも無い様子だ。
飄々とした様子で手にしているのは緑の財布。
ほんの少し今ではない時間に身を沈めていたナルトがずっと愛用している、ぱんぱんにふくらんだがま蛙のがま口財布を自来也が取り上げていた。
「ナニってちょっと借りるだけだっつーの。こんなに溜め込んだ財布は盗られたら危ないからのぉ。ワシに任せておけ」
「そんなんエロ仙人に預けとく方が危ねーってば!」
ほほぉう、と嬉しそうに中を覗きこんで確認する自来也から財布を取り返そうと必死に隙を覗い攻撃を仕掛けるも、見た目とやっている事はともかく、流石は伝説の三忍の一人。悲しいかな掠りもしない。
多重影分身の術で他方向から同時に蹴りを繰り出すが、どれも紙一重で躱される。一瞬で攻撃の軌道を見切り、最小限の動きだけで僅かな安全領域に身を滑らすのだ。ナルトの攻撃がまだまだ単純な型から抜けていないのもあるが、それを差し引いても実力の高さを実感し、ちょっとだけでも尊敬したかもしれない。
子供、しかも弟子の財布を取り上げる為に使われるのでなければ。
「オレのがまちゃん返せってば!」
「返してやるわい。さっき言った修行が今日中に出来たらと思ってたんだがのぅ。儂にたった一撃すら掠りもせんドタバタ忍者のお前には無理だろうから返してやろうかの」
カカカッと豪快に笑い飛ばされ、ナルトの血と負けん気が激しく上昇する。
「無理じゃねーってばよ!その言葉忘れんなよ、エロ仙人!今日中にさっきの修行、習得出来たらがまちゃん返す。約束しろ!」
きっと青い目を真っ直ぐに見上げ、射抜くように強い意志を湛えて言い放ったナルトに、ふっと見えないよう一瞬だけ柔らかい笑みを零すと、自来也はくるりと背をむけた。
「ほぉーお。ま、いいがな。せいぜい頑張れるんだのぅ。じゃワシはちょっと取材活動に勤しんでくるからのォ」
後ろ手にひらひらと手を振ったと思ったら、ぼわんと白い煙とともに消え失せる。
「ば、馬鹿にして…あとで吠え面かくなってばよー!」
その姿は当然、気配もなにもなく、市街から外れた林でナルトは顔を真っ赤にして肩を震わせ、一人叫んだ。
そもそも自分の持ち物である財布を返してもらうのに、こんな交換条件を満たさなければならない必要は何一つないという根本的な事に気付かず。
翳らせた青がきらきらと純度を上げて光らせているのに、不謹慎な師が笑みをもらした。
ナルトは拳を作る。
絶対出来るようになってやる。
そんで強くなってやる。
そう、強くなって。
「絶対、ぶん殴ってやるってば」
この手袋をしても冷たい手で。


ちら、と降り出した雪が手の甲へと消えていくのが漆黒の目に入った。
つい先ほどまでは赤く、巴の文様を浮かび上がらせていたが今はただ黒く、動かない。
手を保護するものなど一切着けていないそこには冷たかった。
雪さえ降る気温の低さも気にはならないのにおかしな事だ。
筋肉の萎縮やらを考え適正な体温をチャクラで維持しているからではなく、今更暑い寒いで動く感情などない。
だが目についた雪はもう水となって霧散したようなのに、寒さなど感じない筈なのに酷く晒された手が冷たいと思った。
手甲の一つでも用意するべきか、とそれまで必要で無かった物を考える。
同時に必要で無かった理由も。
無駄だ。
つい今しがた必要かと判断した物に無用だと判断しなおす。
どうあっても冷たい。
手甲などあの手の、あいつの熱の代わりになどならない。なるわけがない。
この手が熱を求めていいわけがない。
あの熱がこの手をもう一度掴み返すなんてない。
それが正しい選択で、自らが選んだ結果だ。
この手を切り離してしまえばいい。
冷たいままでいるのはこの手だけでいいのだから。
だから。
せめて。
声にすらならない言葉を向けた相手を望むように見上げた空は、望んだ青はなく緞帳のような重たげな灰色を掲げて、軽やかに白い雪を舞わせつづけていた。
手袋もないサスケの手を冷たく濡らしながら。










(終)


レッツ妄想〜。っていつももです、ハイ;
か、書いたのは真冬ぐらいだったのですが上げたのはこんな真夏でごめんなさい!また纏まりもなんもなくてごめんなさい!


'05/02/06