あの時の熱の本当の意味なんて知らない。
分かりようも無い。
けれど大事なのは確かにその熱があったって事で。
それが酷いくらいに気持ちがよく。
何度思い返しても苦しいような陶酔が足の先から頭の上まで満たす。
ほんの少しでも気を抜けば狂おしいくらいの衝動がすぐにも襲ってきてしまうという事。
確かに在るのだ。
存在し続けているのだ。
この熱が。
もうすぐ時間は終わってしまうのに。









スタートアウト










水が跳ね、光の粒のように幾重にも輝く。
「つめてー!ちょーキモチイイー!」
殆ど人のいない海水浴場でナルトは腰まで浸かって髪と同じ色の太陽から受ける熱視線を楽しげに浴びていた。
相も変わらず残暑厳しい本日、澄んだ海水の色だけでもそれがいかに心地よいのか想像出来る。
波打ち際から少し離れた場所で日除け代わりのタオルを頭に掛けて座っているサスケに海よりも澄みきって明るい青の目が向けられた。
「サスケも来いって!」
もう何度となく受けた誘いに首を振る。
もちろん横に。
「こんな海月だらけの海に入るか。せいぜい噛まれないようにきをつけろよ、ウスラトンカチ」
「うっせー!サスケのジジィ。ハゲ」
「誰がジジィでハゲだ!」
「こんなケンコウテキな太陽のもとで泳がないなんてジジィの証拠だってば!」
「お前がガキなだけだろ」
別に海を来るのが初めてというわけでもないだろうに、海月だらけの海に入れてあそこまで喜びはしゃげるのはナルトぐらいだ。
泳ぐ気など起きない。
第一ナルトと違って水着なんか持っていないのだ。
敢えてあまり確とした計画は立てずに始めたバイク旅行で、海沿いに行こうと決めていたがナルトのように自らが泳ぐなどという考えは微塵も持っていなかった。
この暑い中そんな面倒な事、誰がするかと。
多分に呆れを含んだ息をついたサスケの足元に影と水滴が落ちる。
「ガキでもいーから行こうって!だってこんな暑いし、水すっごいキモチいいし。サスケにもキモチよくなってほしいっつーかさ」
海から上がってまで誘いに来たナルトに心臓が跳ねた。
潤んだように光る瞳やすらりとした項に鎖骨、しなやかな胸に視線が彷徨う。
いつもならあちこちに跳ねている濡れて濃くなった蜜色の髪が落ち着き、晒された白い肌はしっとりと濡れ、ほんのりと熱が篭った頬と唇が赤く、それこそそこいらの女より可愛い。
しかも照れくさそうに言う言葉が尚更。
「サスケー?」
返事をしないサスケを上から覗き込んできたナルトに一層速さを増した心音に気付かされ、慌てて首を振る。
「水着なんて持ってねぇ」
「えー!?持ってねぇの?う〜ん…ならさ、足ぐらい浸けろって!それだけでもすっげぇ冷たいから。な?」
小首を傾げ、満面の笑顔を浮かべて差し伸ばされたこの手を払える方法があるのなら聞いてみたい。
取ったナルトの手は濡れていたがそれでも触れた部分が熱く感じた。




しばらく海水でその水温とさらさらと変化する流れを確かに気持ちいいものだと楽しんだ後、サスケは海から上がりスケッチを取り出す。
視線の先にはナルトが地元の子供らと潜水の競争をしていた。
座りもせず、指が意識を介さず走らせる。
果てが無いように続く空をそれを映し同じく続く海。
そこに落ちた金色の太陽。
その存在があるだけで色が明るく、見えていた景色が違った顔になる。
ほんの一瞬一瞬で世界は見えずとも変化し続ける事など分かっているのに、これが消えてしまうのはどうしても惜しい。
今までに憶えた事のない焦燥にも似た感情に突き動かされるようにサスケは真っ白だった用紙に流れ失われる時間を留めたいと想う。
するすると留まらない時間と同じように書き上げられていくそれの中心は紛れもなく、ナルトだった。
サスケは今まで人を描いた事などない。
いつも風景画、それも人がいればポイントを替えて自然と様々な条件がつくりだした造詣そのものだけを対象にしか見ていなかった。
一切の興味がわかなかったのに、今のこの情動はどうだ。
たかだか知り合って一ヶ月足らずの相手なのに。
それでもそれがどうしたと反論する声が聞こえる。
惹かれている存在に特別な感情、行動が出るなど当然だと、諦めの悪い頭を嗤った。
ナルトに惹かれている。
下らない賭けを利用してキスをしてしまうくらいに。
そういった意味で惹かれ、欲しいと思っている。
時間とか、それ以前に男同士だとかそういった事を一切無視して心がナルトに向かう。
あのキスを仕掛けるまではそれでもはっきりと自覚していなかったものが明確に現れ、何度も止めようと、気の迷いと思おうとしたがその都度それを否定してくれる感情から来る欲求を抑えるのに随分と苦労した。
特に経費削減も兼ねて同じホテルの部屋に泊まり、一つのベッドで眠る時など。
仮にも不意打ちでキスを仕掛けた男とよく同じベッドで眠れる、と呆れるやら妙な感心やらを抱いてしまう。
自分はあの一瞬を思い返さない日などあれから一度としてないのに。
その度にどれほどの陶酔とまた、とそれ以上をと望む欲求に苦しんでいるかナルトは欠片も知りはしないのだろう。
ひょっとしたらキスされたと気付いてすらいないのかもしれない。
…………有り得る。
わずか一ヶ月足らずで十分に思い知ったこの今時珍しいとかそういったレベルでは済まないだろうと思えるくらいナルトの天然っぷりと鈍感さに、はぁっと溜め息を吐き出した時には滑らかに滑っていた手は止まっていた。
「もう描かねぇの?」
いつの間にか側に来てサスケを見上げていた。
「いや、まだ描くが…」
描く対象であるナルトがここにいては描こうにも描けない。
本人を目の前にしてそう言うにはなんとなく口籠ってしまう。
「ふーん?」
特にそれ以上何を言う出なく、隣に座りサスケと同じように海を眺めた。
サスケと言えば描く対象の最たるものを失い、手の中のスケッチと描いていたはずの世界はもう全く違っていていくら眺めても描きたいという感情は湧き上がってこない。
それよりちらちらと手元に感じる視線のほうが余程気になった。
サスケがその視線を送る人物、ナルトに意識を多分に送っているからというのもあるのだろうが。
「見るか?」
ナルトの視線を時折捕えるスケッチを閉じて差しだせば、青い目が一回り大きくなった。
「えっ!?」
「何だよ、その驚きようは」
「だってサスケ、スケッチ一回も見せてくれた事ないじゃん」
「そうだったか?」
「そうだってば」
「見せてやる」
「いいってば?」
「隠してるわけじゃねーし、別にいい」
「へへっ、サンキュ。実はずっと見たかったんだよな」
「これぐらい言えばいいだろ」
「なんかさ、言いにくくて。でも見せてくれたから嬉しいってば」
へらと気の抜けた笑みを浮かべたナルトにどきりとする。
確かにナルト以外なら決して見せたいとは思わないだろう。
己が何を見て、どう感じたかが恐ろしいほどにそのまま反映されたこの絵を見せる、という事は他者に己の裡への侵入を許すような行為だから。
ナルトも同じように感じていたのだろうか。
サスケがナルトの事をもっと知りたいと思いながら聞けずにいるこのもどかしさにほんの少しでも似た感情を。
名前と年齢。この1ヶ月たらずで知ったサスケから見たうずまきナルトという人となりしか知らない。
どこに住んでいるとか、どこの学校に通っているとか聞きたいと思いながら聞けずにいた。
聞いてはいけないような気がして出来ないのだ。きっとそうやって踏み込んだら色んなものが抑えられない。
そしてナルトからも聞いてはこない。
いつなんて明確な物は何一つなく出来上がってしまっていた暗黙のルールとやらを今すぐ壊したいと強く思った。
壊して、形振り構わず手を伸ばしてしまいたい。
もう時間があまりないのだから。
ぱら、ぱら……ぱら、と不断続に続く紙を捲る音が波の音よりサスケの耳に大きく聞こえてくる。
じっと一瞬たりとも逸らされない瞳に心臓の脈打つリズムが少し速くなったのを感じた。
平面的な、二次元の虚構からその時在ったはずの空間すら見通せていそうなほど、澄んだ真剣な瞳でナルトはスケッチを見ていき、白紙のページまで辿りつくと、スケッチを渡された時のように閉じてサスケに返した。
「オレ、絵とかぜんぜん分かんねーけど、サスケの絵は好きだ。すっげー綺麗で悲しくて、でもやっぱ綺麗で。そんで、そんで最後のは嬉しい」
そうして最後は早口で言うと膝を抱えそこに顔を埋めるようにして隠す。
よく見れば耳が赤い。
サスケはナルトの反応に多大な疑問符を浮かべる。
貰った感想は抽象的だが、すとんとサスケの中に落ちてきた。
描きながら感じていた、一秒たりとも留まる事の出来ないそれぞれが孤立し、構築された世界とそれを残したいと思う琴線に触れたものの魅力。
そういったものをナルトが感じてくれたのなら嬉しいとさえ思う。
だがナルトの明らかに照れたような、というか照れている姿にほんの僅かな時間首を傾げていたが、最後の、という言葉にはっとする。
最後の、つまり一番新しい物とはまだ未完成の、ついさっきまで描いていたもので。
その対象はつい今しがたこれを見たナルト自身。知らぬ間にモデルにされて恥ずかしがっても無理はない。
それでも、恥ずかしくはあるが気分を悪くしたのではないのは、駆けるように告げられた嬉しいという言葉で分かる。
胸の裡、奥底から眩む存在を無理だと分かりつつも手に入れたい、側に留めておきたいと駆り立てられるような感情で描いたそれに、返ったナルトの言葉はサスケの方にこそ恐ろしいほどの嬉しさを齎した。
気付いてしまえば伝染したかのようにサスケの頬が赤くなり。
「あ、ああ」
幾分間の抜けた、時間差のある返事を返すしか出来なかった。




あれからオカシイと思う。
何がオカシイかといえば自分が。
本日の宿が決まり、部屋でのびのびとくつろぐはずのナルトは、膝を抱え小さな子供のように丸まっていた。
昼間、サスケにスケッチを見せてもらってからずっと落ち着かない。
妙に心がそわそわするというか、どきどきするというか。
最後の描きかけの一枚を見た時、それまで見ていた綺麗だけどどこか一人ぼっちのような―――風景に一人もなにもないのだが―――淋しい、一人で消えて行くような淋しさと、だからこそ綺麗だと思った絵達とは全く違った印象を受けた。
それを言葉にしろと言われるととても困るのだが、一番近い言葉はやっぱり嬉しい、だろうか。
自分の知らない、自分であるからこそ見た事のない表情。
それがサスケの手によって描かれ、残されていた。
あれはサスケの眼を通してみた「うずまきナルト」なのだ。
サスケがどう見ていたかが込められた。
力強いタッチで描かれたそれは熱があるようで、鉛筆だけのデッサンなのにとても鮮やかで、面映いけれど嬉しいと思う。
そして何故だか見た瞬間、あの時の事が思い浮かんだ。
一瞬で離れ、それからいつまでもナルトの中に残った熱。
硝子越しの水に囲まれた中で唐突に振って出た熱を持った感触が唇に甦り、堪らなく恥ずかしくなり、次いであん時のちゅー、なんでしたかってまだ聞けてなかったなぁ、なんて暢気に思い出す。
キス、だったと思う。
目を閉じていたけれど確かに唇に触れた感触とすぐに開けた瞼の先にあった至近距離のサスケの顔がそうだと確信させる。
サスケの態度があまりにも自然で全く変わらないものだからつい忘れてしまいそうになっていたのだが、思い出してしまい、一度甦ったそれは中々消えてくれない。
消えそうで中々消えず、もう炎すら発していないのに赤く光るそれは酷く熱い燻火のように。
ぽつ、とナルトの中に灯ってじりじりと小さな点のような高熱が焦がしていくような錯覚さえ憶えて落ち着かない。
頬がまた熱くなる。
胸がどくどくと早鐘を打つ。
「あーもう!忘れろって!あんなんただのイタズラに決まってんだし、罰ゲームなんだってば!」
容量オーバーになった何かを噴出すようにくしゃくしゃと頭を掻き、大きな声を出した。
何だか声に出さずにはとてもおれなかったのだが、一人の部屋に思ってたよりも響いた事ではっとする。
サスケがいなくてよかったと心の底からの安堵の息を吐いた。
観光案内所に行ってこの辺の細かい地図を貰ってくると行って出たのが20分弱前。
もうそろそろ帰ってくるだろうからそれまでに落ち着かなくては。
サスケの態度だって全然普通だし、やっぱりあんなのはただのゲームの罰の一つで、こっちが意識するのが変なんだ。
そう頭を振ると同じにその考えも霧散させたいのに、今度は昼間見た絵が浮かぶ。
自分はあんなに楽しそうな、それこそ生き生きという表現がぴったりな顔をしていたのかと驚くほど鮮やかに描かれていて、どう見ても風景の中に埋没したのではなく自分を中心に描かれていて。
すごくよく見て描いてくれたのだと一目で分かるほどで、それこそ体温が感じられるように暖かかった。
するとまたあの水族館での事が思い出されて叫びだしたくなる。
堂々巡りのような思考にほとほと困るのだが、何が一番困るかというと繰り返し思い出すそれが嫌ではなく。
おかしくなったと、本当に病気じゃないかと思うほど熱くなってくる身体とフル活動を始める心臓が苦しいのにある意味心地よくて。
ごく間近で見たあの黒い眼を脳裏に浮かぶと下腹のあたりがきゅっと締め付けられるような感じになる。
何故そうなるかなどいくら考えても分からず、ぐるぐると熱で鈍る思考が渦巻く。
「も〜ホントどうしたんだってばよ…オレ……」
マジ病気かもしんねぇ。帰ったら診てもらったほうがいいんかな。
と、考え次いでそれまでどんなに落ち着かせようとしても忙しく働いていた心臓が止まったように思った。
冷や水を頭から浴びせられたような感覚。
帰ったら。
今日はもう8月24日。
道のりを考えて明日の昼か夕方には帰らないといけない。
帰るというのはこの旅行の終わりで、サスケとの別れも意味していた。
元々夏休みを利用した少々長いバイク旅行で、またまた旅先で知り合って、意気投合して今日まで一緒にいたバイク仲間。
サスケとの関係といえばそれだけだ。
当然この旅行が終われば会うことはない。いつかどこかでまた再会するかもしれないがそれがいつだなんて、本当に会えるのかなんて当然分からない。
お互いなんとなく名前と年齢ぐらいしか言い合ってないし、サスケはそういった深い人付き合いを好みそうな性質ではないという事ぐらいはこの一ヶ月足らずで分かってる。
偶然出会った気の合う人物との楽しい想い出で、それだけになるのだが、何だかそれがとても惜しい気がした。
それだけじゃ物足りないような。
そんな突如として出てきた感情が先ほどの詰まって答えの出せない思考を掠めますます混乱する。
「わけわかんねぇ……」
はっきりと分かっているのは。
今自分の顔はすごく赤くてオカシイという事とサスケが帰ってくるまでにそれをどうにかしなければいけないという事。




安くてボリュームもたっぷりの民宿料理を綺麗に平らげたナルトは満足そうに息をついた。
二人とも民宿の浴衣を着て、食べ終わった料理が片付けられてすぐに布団が敷かれた上で寛ぐ。
「は〜〜すんげぇ美味かったー!」
「まぁ、悪くはなかったな」
「素直に美味しいって言えっての」
実際ナルトの言う通りすぐ側の日本海で獲れた新鮮な魚介類をふんだんに使った料理の味はどれも美味しく、満足の行くものだったのでサスケは何も言い返さない。
「そういやさ、この近くに12時ごろになったら来る屋台のラーメンがすっげぇウマイんだってー!後で行こうってば!」
「まだ食う気なのかよ、てめぇは」
「だってさ、せっかくここまで来たんだしごとーちの味ってのを味あわないと損だってば!」
胸を張ってそう言い切ったナルトにサスケの反対の言葉が出る気も失せる。
毎度の事ながらナルトの食欲には恐れ入る。
かなりの量のあったついさっきの食事も6:4の割合でナルトの方が多く食べていたように見えたのだが。
これだけ食べて何故あんなにも細っこい身体をしているのかが全くの謎だ。
きっとエネルギー効率が恐ろしく悪く、無駄に消耗しているのだろう。だから体温もあんなに高いのだと、隣で眠る時の熱を思い出し僅かに落ち着きを無くすが、持って生まれたポーカーフェイスに何度目になるか分からない助けを貰う。
「サスケは行かねーの?」
「…行く」
あまり食べたいとは思わなかったが逡巡の後の答えに嬉しそうなナルトの笑顔にまぁいいかと思う。
ナルトには劣るとはいえサスケも十代後半の最も食べる成長期なので時間が経てば入らないこともないし、何よりナルトを一人で行かせるのが精神衛生上大変よろしくない。
以前一人で同じように地元の屋台ラーメンを食べに行くと言ったきり、中々戻らないナルトを心配して探しに行けばあろうことかナンパされていた。
それも男の集団に。
聞けば最初は暗かった上にたっぷりとしたTシャツを着ていたせいもあり、女と間違われてのナンパだったらしいのだが、男と分かってもいいからとしつこく誘われ帰してもらえなかった所にサスケが迎えに来たらしい。
夏という季節と旅行先という状況で少々度を外して開放的になった連中だったのだろうが、そんな連中に囲まれていつまでもご丁寧にお断りなんてするな、というのがサスケの抱いた正直な気持ちだ。
だが、ナルトは至って暢気に「別になにかされたわけじゃねーし、イキナリそんな喧嘩越しになるほーが危険だってば」などと言うのだからとてもじゃなないが気が気ではない。
何かあってからでは遅いだろうが、このウスラトンカチが!
そう怒鳴ったのだが、無邪気に丸くした目で見上げてきて何が?と聞いてくるナルトにそれ以上言う事を諦めた。
以来、こういった場合は必ずサスケも同行するようにしている。
「んじゃそーと決まれば時間までもっかい風呂入ってくるってば!」
今日一日掻いた汗とたっぷりと浴びた海水を流したくて食事前に入ったのだが露天風呂を気に入ったナルトはもう一度と入浴セット準備しだした。
「それもいいがその前に明日の予定を先に決めとけ。どうせ行って帰ってきたら即夢の中だろうが、てめーは」
言いながら宿についてすぐ貰って来た近隣の名所やら観光地を解説付きで載せた中々に詳細な地図を広げる。
印を付けるためにペンを取り出した所でサスケは異常に気付く。
いつもなら地図を広げたならばすぐに来て覗き込んでどこに行くかを見るか、もしくは誰かから聞いた情報を楽しげにサスケに話し行ってみたいと言うナルトがいつまでたってもこちらにこない。
先ほどまでのラーメンに露天風呂、と騒いでいた様子は嘘のように静かに俯いている。
「?どうかしたか?」
何かマズイ事でも言ったのだろうか。それとも他に何か原因でもあったのか。
今まで見た事のないナルトの様子にらしくもなく動揺してしまう。
と、同時に嫌な予感が、それも当たってほしくないものほど良く当たる類のものが胸をよぎる。
「あのさ、サスケ」
すっと上がり、真っ直ぐにこちらを向いてきた青い瞳がサスケを射抜く。
「明日、オレ帰るってば」
どくり、と大きく波打った後、止まるかと思った。
否、サスケの中では止まったも同じだった。
いずれと言わず、いつかと言わずこの期限は凡そ分かっていた。
8月一杯までの休み期間しかないのだ。帰る道のりなり諸々を考えればそれが今日であっても何ら不思議はないし、むしろ遅いくらいだった。
サスケ自身、予定よりも1、2日オーバーしている。
だがどうしても自分から言い出す気にはなれず口を噤んでしまっていたがそれも所詮それも無駄な事で当たり前だ。
ただ裡に巣食う感情だけが嫌だと拒否を繰り返している。
「明日って言っても、朝とかすぐじゃなくて!明日丸一日ぐらいはまだ時間あんだけど、夕方、夜には出ようかなって……」
「そう、か…」
「だからさ、その、こんなん改まって言うのもらしくねーけど…アリガトな、サスケ!」
にっこりと屈託のない笑顔に焼ききれる音を聞いた。
理性だか、忍耐だかの糸というやつだったのかもしれない。
それでも終わってしまうのに一抹の淋しささえ見せる様子のないナルトに無性に込み上げてきた腹立たしさが我慢などいともたやすく壊し。
気付けば押し倒していた。
そしてあの時以来頭を離れた事のない一番近づいた体温を、匂いを追うように口付けていた。
それまでの飢えを満たすように貪る。
あの時のように触れるだけの柔らかなものではなく、唇を割り、舌を捩じ込み、絡め息さえも奪うような激しいもので。
堪らずナルトはサスケの背を叩くがびくともせず、一層強く口付けられた。
漸く離れた頃にはままならなかった呼吸にすっかり酸欠状態になり、ナルトは頭がくらくらした。
だが、はっきりと分かっている感情がある。
未だ近くにあった圧し掛かるサスケの身体を力一杯押し返した。
「おまっえ…なにすんだよっ!」
怒りを漲らせてサスケを睨んできた目はカッと昇った血で青が濃くなっている。
息苦しさに少し掠れてはいたが力強い声がサスケに向かった。
「オレが嫌いだったんならそう言えばいいだろ!こんな嫌がらせしなくてもっ…前ん時だっていきなりキスして、そんで一人で何もなかったみたいにへーぜんとしやがって…!オレだけ慌てて、今日一日中ずっと考えて馬鹿みてーで、もうお別れだし、やっとただの罰ゲーム、なんだし、忘れるって思えたのに、楽しいまんまで終わ、るって思ってたのに、なんでまたこんなんっ!」
少しずつ激しくなっていく興奮と治まりのつかぬ感情に涙が見る間に盛り上がり、ぼろぼろと落ちる。
もうナルト自身自分で何を言っているのかよく分からなかったが、悔しさとか、腹立たしさとかが先に立ち、その裏でやっぱりこんな事をされても嫌いになれないでいる自分に余計に混乱していた。
眦から伝っていく涙をすぐに掌で拭うが後から後から溢れてきて手をびっしょりと濡らしていく。
「サスケ、なんか、大っきらいだ…」
ぎりっと唇を噛み締め、出てきそうになる嗚咽を押し込めて泣くナルトに即座に後悔が押し寄せるが、それと同じくらい、身勝手だとは思いつつも期待というものが生まれた。
だからこそ。
「オレは好きだ」
こんな言葉が出てしまった。
「…………はぁ?」
放り出す言葉が尽きていたナルトのぐちゃぐちゃだった頭に入ってきた言葉のあまりの唐突さと、その意味の不明さに止めようがないように思われた涙が引っ込んだ。
目が点になるとはこういう事なのだと教えてくれるような顔でナルトはサスケを見返した。
「だから、オレはお前が嫌いじゃねぇ、むしろその逆で好きだって言ってんだ。どこの世界に好きでもない男に嫌がらせでキスできる男がいんだよ。少なくともオレはそんな事したいとは思わねぇ」
押し返されて離れた距離をもう一度詰め、驚き固まったままのナルトのまだ濡れている目を覗き込む。
「勝手に気持ちを押し付けるような真似をしたのは悪かった…今のも前のも当たり前だが罰ゲームでも嫌がらせでもねぇ。好きで、したいからした。お前にとっちゃ忘れられる事かもしれねーがオレにとってはそうじゃねぇんだよ」
ぱちり、と瞬いた青が今度はその周りを赤く染め出した。
ナルトは近い、近すぎる真摯に熱を湛え訴えてくる眼に困り、目を逸らしたいのだがどうしても逸らせられずその秀麗な黒に魅入ってしまう。
どくどくとついさっき起こった嵐のような激しさで心臓が跳ねるがそれすらも明瞭には届かず、サスケの低く、今は少し掠れたようなその眼と同じく熱の籠もった声がナルトに入り込んでくる。
「それにどう見えてたか知らねぇがあれ以来オレはずっと平然となんて出来てねぇよ。お前は今日一日中考えてたなんていうが、オレはずっと考えっぱなしだ」
「う、嘘だってば」
「何でだよ」
真っ向から嘘呼ばわりされ、サスケの眉間が僅かに寄る。
「だってそんなんにぜんぜん見えなかったし、あん時だってなんも言わなかったし」
「それはお前の方が何にも無かったようにしてたからだろ。絶対何か言ってくると思ってたがそれこそ何も言わねぇし、こっちから何か言って避けられるようになったらと思ったら終わりだから余計に言えるわけないだろ」
「それだったらもっと分かりやすくしろってば!」
「そっくりそのまま返すぜ。お前こそ分かりやすい態度で示せ。紛らわしい真似すんじゃねぇ」
「してねぇってば!」
「なら一緒のベッドで寝ようとなんてするな!…襲われても文句言えねぇぞ」
「お、おそっ…!?」
いつの間にやら喧嘩のようになっていた一方のナルトの口が再び回りにくくなった。
サスケの言った台詞に金魚のように真っ赤になって口を開いたり閉じたりしている。
「当たり前だろうが。それともキスはされてもそれ以上はされないって確信でもあったのかよ」
「だ、だって、きょ、今日まで忘れてたってゆーか、あんま考えてなかったってゆーか……それにサスケと寝るのって温かくて嫌じゃないってゆーか、その、好きってゆーか」
ついに下を向いて赤い顔でばつが悪そうに言うナルトにサスケは一拍の後、絞るようにようやく声を出した。
「…っの、ウスラドベ」
「なんだってばよ、それー!」
新たなる自分を馬鹿にしたような言葉につい反射的に反応しているナルトの前で、赤くなった顔を片手で隠しながらサスケは溜め息を吐く。
今日まで忘れられていた事が悲しいやら、続いた台詞が堪らなく嬉しいやら。
これが全て天然なのだから、ある意味恐ろしく性質が悪い。
はぁっと、もう一度溜め息を吐くとサスケはむぅっと上気し、膨らませたナルトの頬を両手でこちらに向けさせた。
「ともかく、オレはお前が好きなだよ。嘘でもなんでもなく」
過ぎ去ったようにも思われた告白が突如として戻ってきて、ナルトはまたどきりと胸が鳴ってしまうのを聞いた。
「好きだ」
あと少しで唇が触れると思えるほど近くで囁かれた告白に更に熱が昇ってくるのを感じる。
「オレにこうされるのは嫌か?」
卑怯な聞き方だと思う。
ゆうるりと首が横に振られるのがサスケの手に伝わる。
「オレにキスされて嫌だったか?」
また、伝わる。
「オレの事が嫌いか?」
伝わってしまう。
「好きだ…ナルト」
サスケにこんな風に触られるのは嫌じゃない。
キスされるのも、嫌じゃなかった。
嫌いじゃない。
ずっとはっきりとせず、ナルトの内側から焦がすような感情を植えつけたのは間違いなくサスケで、それが嫌ではないから困っていた。
その感情が何か、もうナルトでも分かる。
恐らく間違ってなどない。
お前は?と雄弁に追い詰める黒目にもう誤魔化す事など出来なくて。
「オレも、多分…好き!」
あまりの恥ずかしさに言った瞬間、ぎゅっと目を瞑ってしまう。
しかしそのせいでナルトは身内を抜いた場合の、人生で三度目キスを奪われる事となった。




翌朝、少し赤くした目で今まで一度もした事の無い失態に気付いたナルトがその大部分の原因であるサスケを詰る。
「バカサスケ。てめーのせーでラーメン食べらんなかっただろ」
ぷうっと頬を膨らませてナルトは怒るがそんなものは可愛いとしか見えないサスケに効果はまったく無い。
「悪かった。だから奢る」
「奢るって今日もう帰るって言ってるだろー!」
「分かってる。だから次の休みに来ればいいだろ?そん時に好きなだけ食えよ」
別にこれっきりで終わりってわけじゃねぇんだ。
さらりと言われた言葉にきょとんと一瞬青い目を丸くした後、ゆっくりと広がっていき満面となった笑顔に言ったサスケの頬が赤くなる。
「おう!そうするってば!」
嬉しさをそのままぶつけるように抱きついてきたナルトに、サスケは今度こそ顔中を真っ赤にしつつもしっかりと抱きとめた。









後日。
「サスケサスケ!早くってば!!遅刻するー!」
衣替えにはまだまだ早く、袖なしのセーターにネクタイと規定のズボン姿のナルトがサスケの愛車である黒のバイク、サスケの後ろに跨った。
「テメーがちゃんと起きて用意してなかったからだろ!」
怒鳴りながらヘルメットを渡すサスケも似たような格好だが、ネクタイとズボンの色がナルトの藍をベースにしたチェックと違い、黒だ。
「だってとーちゃんが居たから」
「言い訳してんじゃねぇよ、ドベ」
「ドベ言うな!」
あれほど聞けないと理由も無く思い込んでいた住所やら通っている学校やらを聞いてみれば、そこはあの旅の終わりを悲しんだのが恥ずかしいくらいに近くで。
家があるのは隣の市。通っている学校は同じ路線の駅一つしか違わない学校。
サスケが電車通学が嫌でバイクでこっそり通っていたせいもあるのだろうが、よく今まで顔を合わせなかったと二人して思う。
夏休みが明けてからはずっと、朝ナルトの自宅までバイクで迎えに行き、そこから駅までバイク、後は電車でという新しい通学スタイルを実行しているサスケだが、これまで一度も無かった遅刻を何度かやらかしそうになっている。
が、それでも本人は至って上機嫌で笑みを浮かべるという世にも不気味なうちはサスケを目撃し、ぞっと背筋を冷やした不幸なクラスメートがいたとか。





















(終)


かなり遅くなりまして申し訳ありませんでした;しかも長ぇ…!予定よりずっと長くなってしまいまして(汗)
因みにこの不幸なクラスメートは不幸代表選手シカマルです(笑)こんなんですが、少しでも楽しんで頂けましたら幸いですv
拍手ありがとうございまいた!
*拍手に掲載させていただいておりました。最後まで読んで下さってありがとうございました!


'05/8/26