皓々と、くすんだ駅の蛍光灯だけが鮮明に明るい中。
目の前の男は平然と馬鹿な事を言ってのけた。









猫の棲家









うちはサスケが規定シフト10分前に入った従業員用の裏口から直で繋がっている休憩室兼従業員用ロッカールームは騒がしかった。
24時間営業のネットカフェ――といってもサービスは簡易ホテル並み――であるからして誰かしらが居るのはいつもの事だが、今日はいつにない騒がしさだ。
テーブルや椅子の他に仮眠用の簡易ベッドなどが置いてあるせいかあまり狭くは無いが広くも無い室内の、出入り口からは死角となるロッカーが並んでいる奥から聞き慣れぬ少し高音の声と聞き慣れた声が飛び交っている。
肩に掛けていたショルダーを手に持ち変えながら割り当てられているロッカーへと近付くにつれその声は大きくなった。
左右に並べられ作られた通路のような狭いロッカー置き場となっている入り口付近に立ったサスケは一瞬、その鮮やかな色彩に目を奪われる。
光に透かした蜜のような、明るいが深みのある美しい金色と今日はもう隠れてしまって見えないはずの晴れ渡たり澄んだ空を溶かして結晶にしたような青。
暗くは無いが人工のどこか寂れた明かりとモノクロに近い灰色のロッカーで挟まれたそこには不釣合いなほど眩く美しかった。
「りょーかい。じゃ、今日からここを自由に使ってい〜ぞ。着替えも入ってるから。着替え終わったら…ん?」
喋りながら落ち着きなく動く青い瞳を知らず追っていたサスケの黒眼とぱちっと合わさり、じっと固定され、それまでしっかりと返事をしていた相手の口が唐突に止まった事にすぐ気が付いたはたけカカシは自分の説明を追っていたはずの目が向けられている方向、背後を振り返る。
「あー、サスケ来たのか」
何処となく残念がる響きが混じったカカシの物言いにサスケの顔が不快げに顰められた。
「シフトが入ってんだ、当たり前だろ」
決まったシフト通りに出勤して、そもそもそのシフトを組んだのは他の誰でもない、目の前の店長であるカカシだ。
「ナルト、こいつがサスケ。さっき言ってた同じホール担当ね。サスケ、この子はうずまきナルト。今日から入る新人でお前と同じホール担当だから仲良くしなさいね」
さらりとサスケの台詞を無視して勝手で急な紹介を始めたカカシの存在は視界から追い出し、言われた内容だけを頭に入れる。
ナルトと言われた少年は血色の良さを表すように赤く染めた白い頬を大きく動かして、顔中に広がる笑顔をサスケに向けた。
本当に目立つ、派手な色を纏っていると目を奪われた頭の隅の展開されていたサスケの思考はすぐにぶつりと断ち切れる。
「よろしく。えーっと、うちた?」
サスケが頭の中にしっかりと情報を入れた相手の頭はサスケの名前すらきちんと入らなかったらしい。
「うちはだ、ウスラトンカチ」
ほんの数秒前の短期記憶すらままらない黄色い頭はひよこに似た見た目通りの鳥頭のようだと、呆れを込めた溜め息を吐きながらの訂正に間違えた自分の非が飛んでしまったナルトの眦が上がる。
「ウスラッ、ってそんなヘンな名前じゃねぇ!うずまきナルトってちゃんとカッコいい名前があんの!」
「カッコいいかよ」
どこがだと言外にひしひしと匂わせる態度にナルトの低い沸点にあっさりと怒りのゲージは達した。
「ムキーッ!お前ってばヤな奴!」
「奇遇だな。俺も同じ事を思ったとこだぜ」
人差し指を突きつけて宣言したナルトにサスケがはっ、と鼻で嗤う。
「チームワークはばっちりのようだな〜。感心感心」
アレルギー対策の為に一年中つけているマスクと長い前髪で左目、つまり全体の殆どが隠れた顔でにこにこと笑いながらカカシは実にのんびりとした口調で二人の初対面の感想を述べた。
「どこがだっ!」
「どこがだってばよっ!」
即座に返った示し合わせたように発せられた台詞に片方だけはっきりと見えている目がに細められる。
むっと苦いものでも噛んだようなになった顔を二人はまったく同じタイミングで見合わせ、すぐに正反対を向け、にやり、とからかいを隠す気など欠片も無い笑みが深くカカシに刻まれた。



近年のサービス業界における他店対抗の為のサービス向上、範囲拡大は目を瞠るものがある。
このネットカフェに置いてもただインターネットの出来る席とセルフサービスのドリンクバーに読み放題のコミックスが置かれている、という定番ではやっていけないと様々なサービスが付随していた。
まるでちょっとしたレストランか居酒屋並みのオーダー料理の数々に、毛布や枕など寝具の貸し出し、シャワールームまで完備してあるのでそれに伴ったバスルームセットの販売、予め言って置いた時間に起こしてくれるモーニングコールまであるのだからちょっとしたビジネスホテルと何ら変わらないのかもしれない。
そういったサービスが拡大すればするほどそれを提供する従業員の仕事は当然増えるわけで、ましてや夜などの時給は他とはちょっと比べる気にならぬくらいこの店は良かった。
大学の医学部などという金の掛かる学部に所属しながら、よくある割りの良いバイトの代名詞である家庭教師などには諸事情により就く気になれなかったサスケは時給の良さ、金という至ってシンプルな理由でバイト先にこの店を選んだ。
仕事中であるにも関わらず、明らかに人手不足で忙しい時間でも堂々と休憩を取る店長が気に食わなくはあるが、ホール担当はサスケ一人だったので一瞬の顔合わせで済む客とは違いずっと一緒に仕事をしなければいけない他の従業員と高頻度で馴れ合う必要も無いこの職場を割りと良い方だと認識していた。
だがホール担当の仕事は入退店時の受付と精算、客からの注文を取り、注文された品を運んだり、毛布などのサービス品を渡すのと、店を出た客のネットブースの片付けとブースのあるホールの簡単な清掃だけで、だからこそサスケともう一人の交替シフトで何とか賄えていたのだが、客の多さを考えると無理をしていたのは事実だ。
故に新しいバイトが入るのは正直有り難い。
だからと言って誰でも良い訳ではなく。
少なくともアイツで良かったとはサスケは思えなかった。
深夜に近い時間帯に合わせて照明が落とされ、静けさを生むようにされていたホールに食器が割れる音がまた轟き、サスケは額を抑える。
矢張り自分が下げに行けば良かったと。
「わっ!あー、煩くしてごめんなさいってば!」
かちゃかちゃと割った食器の破片と思われる物を片付けながら、大声で謝るナルトの頭をサスケは叩いた。
「って!ナニすんだよ、サスケ!」
床へ向けられていた蒼眼が痛みに振り返ってサスケを見上げる。
「煩せぇ。少しは声を抑えろ」
低く抑えられた声はそれでもしっかりとナルトの耳へと通り、ばつが悪そうに一般的な年齢よりも丸みを多分に残した頬を掻いた。
「ワリぃ」
持ってきたほうきとちりとりで指では取れない陶器の細かい破片を片付けるサスケの横顔を見ないで出された謝罪は今日一番素直なものだ。
バイト初日だから多少のミスは仕方ないとはいえ、ナルトの粗忽さからくる失敗はもうすでに2桁へと昇っている。
元々ナルトの性格から言えば自分の悪い所はすぐに認めて謝る方なのだが。
「…ドベだからしょうがねぇ」
謝る前に繰り出されるこういったサスケのぶっきらぼうな物言いに謝罪が吹き飛んでしまっていた。
そして今も。
「ドベって言うな!」
寝ている客も多いので声を小さくしなければいけないという事を頭からすっ飛ばし、また大声を出してしまう。
「煩いって言ってんだろうか…!」
「サスケがドベって言うからだろ!」
「何度も何度も同じミスばっかしてりゃドベで十分だ!」
「十分じゃねぇ!オレってばナルトって名前がちゃんとあんの!」
「分かってるがテメェなんざドベ、ウスラドベでいいって言ってんだよ!」
「お前達ね、二人とも煩いよ?」
注意していた側の筈なのにすぐに声が張り上がっていっていたサスケとナルトの頭を叩く思い音が一気に静寂を取り戻した。



また視界に入ってくる。
ちら、とその目立つ色は問答無用でサスケの視界に入って注意を引く。
客から愛想良く注文を取る姿は今日がバイト初日とは思えないほど慣れた雰囲気がある。無愛想なサスケよりよほどこの店に長くいてそうだ。
とかく良く笑う。
会って8時間近くが経過した所でのサスケのうずまきナルトに対する一番の印象だった。
何が楽しいのかこうして注文一つ取るのにも馬鹿みたいに笑って楽しんでる。
それが酷く目に付いてしょうがない。
短く舌を打つとサスケは僅かな照明よりもよほど眩しく映る金色が跳ねてる頭から無理矢理目を引き剥がした。
あの色の所為だ、とサスケは裡で吐き捨てる。
こんなにも視界を侵略され、そして落ちつかなくなるのはこの島国に於いては、未だに見慣れぬという感覚が抜けない金髪碧眼の派手な色のせいだからだ。
ついさっき謝られた時もカラーコンタクトなどではない、自然な虹彩の青がくるりと揺れて唇を少し尖らせたその顔がサスケの精神から落ち着きを奪い、あんな言葉しかでてこなかった。
あの色と今日のミスの量を考えればそれも仕方ない、と自分を納得させたサスケの思考をからかいを内包した不快になる声が分断する。
「サースケ。ナルトが気に入ったんならもっと優しくしてあげなさいね」
スタッフルームで書類やら明細やらを抱えていた大人しく引っ込んでいたが、戻ってきた開口一番がこれかとサスケは顔を歪めた。
「寝ぼけてんのかアンタは。あいつが今日いくつ皿やらコップやら割ったと思ってる。その度に手伝うこっちは迷惑してんだ。人手が増えて仕事が減る所か逆に増やされて気に入る奴がどこにいんだよ」
「だってお前は気に入らなきゃわざわざ助けたりしないデショ」
流れるように繰り出された否定をあっさりと塞き止めたカカシは普段は眠そうな目をしっかりと開いてナルトに向けている。
それに気付き、嬉しそうに注文書を手に走ってきたナルトはカカシに飛びついた。
まるで小さい子が大人にするような仕草に見ていたサスケに苛立ちが込み上げてくる。
「カカシせんせー、鮭茶漬けいっこ。オーダー入れて!」
がっしりと頭一つ分よりも小さいナルトの身体を抱きとめ、頭を撫でると注文書を受け取った。
「はいはい。アスマ〜頼むわ」
ナルトの背に手を回したまま背後の料理の受け渡し口から注文書を滑らすように投げ入れる。
奥から短い了承が返り、カカシはもう一度ナルトと向き合い、ぎゅうっと細身の身体を抱き締めた。
「大きくなったな〜、ナルト。もう抱っこはしてやれないねぇ」
「だってオレってばもうハタチだもんねー」
ニシシと笑うナルトが当然と言ったその言葉に、ナルトとカカシの隣で積み重ねていた苛立ちが一瞬飛んで消える。
「お前、同じ年だったのかよ…」
サスケの口から思わず零れたそれは、心の底からの驚きを纏っていた。
「えっ、同じってサスケもハタチ!?」
ぽつりと洩れた低い声を拾ったナルトがサスケ以上の驚きに満ちた顔を振り返らせ、カカシから身を離すとじっくりと改めるようにサスケの顔を見る。
「ぜってー年上だと思ってたってば」
顔を見ながらしみじみと呟かれ、サスケの驚きに開いていた眉間がまた狭くなった。
「こっちだってどこの家出中学生かと思ってたぜ」
「そんなわけねーだろっ、せめて高校生ぐらいは言えっての」
皮肉げな笑みとともに切り返され、ナルトは頬を赤く膨らませサスケを睨む。冗談でも何でも無く夜、出歩いていると警官から年齢確認を求められるナルトには非常に笑えないサスケのからかいだ。
「言えるか。今時、高校生でもテメェよりは落ち着きがあんだよ」
「てめっ」
「あのネ、お前達の仲が良いのは分かったから静かにしなさいって何度も言ってんでしょーが」
カカシの注意に追随するようにわざとらしい咳払いが幾つかのブースから聞こえる。
あと5分で深夜2時になろうとしているのだから、寝てる客、寝ようとしている客が多くても不思議ではないどころか多くがそうだ。
「ごめんなさいってば」
「…悪かった」
「ま、二人とも明日から気をつけろ。今日はもう上がりだ」
ぺこりと頭を下げたナルトと、ばつが悪そうに顔を背けたサスケにカカシは性格というものがこうも顕著に正反対に出る二人も珍しいと苦笑を浮かべながらバイト時間の終了を告げた。
夜の6時から2時までが二人のシフトで、カカシは朝の5時まで。それ以降は副店長と昼のバイトのシフトになる。
明日も6時からというシフト確認を伝えられたナルトは頷き、サスケはさっさと終われと無言で促す。
「じゃ、カカシ先生、お疲れサマ!」
「待て、ナルト」
休憩室兼ロッカールームへと向かおうとしたナルトが引き止められ、ナルトより後ろにいたサスケの足も止められる。
「お前ウチ来なさいね。寝るトコまだ決まってないんでしょーが」
ぽん、と手を置かれた頭をナルトは慌てたように横に振る。
「いいって!ちゃんと場所確保してるし。そんな心配すんなってばよ、カカシせんせー」
「嘘言うんじゃなーいよ」
頬を摘んで引っ張るカカシの手を「いひゃい」と言いながら外すと、ナルトは頬を擦って困ったように笑う。
「ホントだって。駅前のカプセルホテル、もう予約しちゃってんの」
「…気がむいたらいつでも来るんだぞ?いいな?」
「部屋見つかんなかったらね」
人懐っこいはずの笑顔がきっくりと見えない壁を作ったようにサスケの目に映った。



「お先〜。カカシ先生、また明日」
ひょこっと少し開けた休憩室の扉から出てきたのはナルトの首から上だけで、変だけどそれでも可愛いからいいかとカカシは手を振って応える。
同じように手を振り返したナルトは、引っ込むとすぐに全財産の入った重たいスポーツバッグを引っ掴んで外へと繋がる裏口へと出た。
「サスケ!」
そうして全力で走ると、自転車に跨ろうとしていたサスケの背中を掴まえる。
ぐいっと手加減無くコートを引っ張られたサスケは、背筋と深く踏みとどまった足の力で辛うじて後ろに倒れる事を免れた。
「っの、危ねぇだろうが!」
振り返り様に怒鳴ったサスケにナルトはあ、と小さく声を洩らすと片手を上げて謝る。
「サスケ行っちゃうかと思ったから慌てたからつい。ごめん」
ナルトの後先をあまり考えない頭には今日一日で存分に思い知る事が出来た上に素直に謝られてはサスケもこれ以上の皮肉を言う気力など削がれてしまい、小さく息を吐くだけに留めた。
「何か用かよ」
「こっから一番近い駅に行く道ってこっちでいーんだっけ?それ聞きてーんだけど」
こっちと指指した方角は正解とは90度ほど違えている。こいつはどうやってここまで来たのだろうかと疑問が湧いた。
「……連れて行ってやる。迷子になられたら後が面倒だ」
自転車のハンドルを握ると押して歩きだしたサスケに追いついてナルトは止めようとする。
「なんねーって。一応確認で聞いただけだし」
来た時と逆を辿ればいいだけだし、と胸を張ったナルトにサスケは歩いたままナルトが指をさした方をちらと見遣り、教えてやった。
「そっちだと二つ先の駅に着くぜ?」
「あ、あれ?暗いからちょっとだけ分かんなくなったんかな〜」
ハハ、乾いた笑いで誤魔化そうとするナルトにサスケは再び溜め息を吐く。
「だから連れて行ってやるって行ってんだよ。口で説明すんのも面倒だしどうせ俺の家に帰るにも駅前通る」
「ふーん。ならオ言葉ニ甘エマスってば」
黙ってサスケの隣にならんで歩きだしたナルトは疲れたのか店に居た時と違い、何も言わず黙々と足を動かす。
冬の夜の静寂は耳に痛いほどで、それを破ったのは騒々しい顔ばかりを見せていたナルトではなく、普段はそれを好んでいたサスケのほうだった。
「お前、ホントに家出じゃねぇのか?」
普段持ち歩くにしては大きすぎ、尚且つぱんぱんに膨れたスポーツバッグと否応なしに聞こえたカカシとの会話が中学生はともかく、家出というサスケの言葉が的を射ていたように思える。
別に家出だろうが何だろうが他人の事などサスケが口を出す事ではない、と頭で考えるよりも先に口に出ていた。
「へ?違うってばよ」
きょとん、とサスケを見た青い目は不思議そうに丸くなる。
全く思ってもみないというそれは嘘ではなく見えた。
「ならなんでホテルなんかに」
「ああ。家出じゃなくて家がねーの」
「…はぁ!?」
家出よりももっと非常識なそれこそ思ってもみなかった答えにサスケは眉根を寄せ、素っ頓狂な声を上げる。
「オレあっちこっち色んなトコ行くのが好きでさ、その時その時で決めた街とか村とかに暫く居て、またどっか別んトコ見たくなったら行ったりしてんの。言うなればスナフキン!」
「馬鹿かよ」
有名な絵本に出てくる旅人に擬えて、満足そうに頷いたナルトの横顔を見ながらサスケは呆れる。
根無し草にも程があるというか、スナフキンというよりはまるで猫だ。
気紛れにふらりと出かけて、好きな場所に居つく。
「別にいーだろ。でもさ、結構楽しいってばよ?だっていっぱい色んな場所とか住んで見なきゃ分からない表情っての?そーゆーのがいくつも見れるし」
呆れが隠されもせず出されたサスケに、にへら、と気が抜けたような馬鹿みたいな顔で笑ったナルトはやっぱり馬鹿だと思ったが本当に楽しそうで、初めて見た時の笑顔のように綺麗だと思った。



商店街やホームに通じるシャッターは全て閉ざされ、駅前は寒さと薄ら寂しい空気に満たされている。
「送ってくれてサンキューな、サスケ」
にこっと笑い、ひゅうっと通りを駆ける風に首を竦めると歩いていった方向は駅の改札方面で、明らかにカカシに泊まると話していたカプセルホテルとは真逆の方向だ。
サスケは真性の方向音痴かと額に手を当てる。
「オイ、逆だろうが」
「こっちでいーんだってば」
だが数歩も歩かない内に止められたナルトはサスケの方へと向き直り、きっぱりと言いきった。
「でもホテルは」
「予約してあるってアレ嘘だから。あ、カカシ先生には言うなよ?」
反対だろう、と続けようとしたサスケの言葉を遮り、ナルトは悪戯小僧のような笑みを浮かべる。
「予約してなくても空いてるだろ、カプセルホテルなんて」
「カネがねーの」
二の句が一瞬継げられなくなるが、肩に少し重そうなスポーツバッグにちらと目をやると、辛うじてサスケは声を絞り出した。
「…じゃあ、これからどーすんだ」
「駅の地下階段なら風よけられるからそこでじゅうぶん!風呂は明日ちょっと早めに店行って入れてもらおうと思ってるし、近いうちに部屋も見つけるし問題ねーってば」
皓々と、くすんだ駅の蛍光灯だけが鮮明に明るい中、目の前の男は平然と馬鹿な事を言ってのけた。
この真冬に近い季節、ほぼ何も無いに近い屋外で眠るなど風邪は確実、下手をすれば凍死とて有り得る。
「馬鹿か?下手すりゃ死ぬだろ」
これ以上ないくらい正直な感想を述べたサスケにナルトの青白くなった頬が瞬間的にかぁっと紅く染まった。
「なっ、うるせーっ!イロイロ考えてこーしてんだっての」
むぅっと唇を尖らせたナルトにどう色々考えたのかは知らないがどう考えてもそれは間違った選択だろうとサスケは思わずにはおれない。
「考えてそれかよ。そんなんならカカシの所にでも泊めて貰えば良かったじゃねぇか」
聞いていた会話で詳しい関係かは分からないがどうやら不審人物を絵に書いたような店長とナルトが古くからの知り合いだとは分かる。
決して親しくないわけではないように見えた。むしろカカシの様子からは単純な知り合い、といったよりも特別なものを感じる。
少なくともカカシは家に泊める事を嫌がってはいないどころか、泊めたがっていたのだから行くあてがないなら利用すればいいだろうに。
だがナルトは少し俯くと少し眉根を寄せ、困ったような、はにかむ様に小さな笑みを浮かべた。
「それはそーだけどさ。あんま迷惑ばっか掛けらんねぇって。今日だって無理言っていきなり雇ってもらったし」
その顔に酷く裡が騒つく。
まだほんの、会って一日と経っていないのにそんな顔はナルトに酷く似つかわしくない気がして、サスケは何に対してか分からない苛つきを憶えた。
「奴が良いって言ってんだからいいだろ」
「よくねーってば」
「何でだよ?」
僅かな逡巡もなしに断じるナルトに腹立ちに似たものが込み上げ、サスケの声が険しくなる。
「そんなんサスケには関係ねーじゃん」
あまり強いわけでもなく、ぽんと出された言葉はサスケを弾く響きを持っていた。
ざわ、と一際大きく波打った不快な感情にサスケは硬張る。
「……そうかよ」
短く答えたサスケの顔を見たナルトは口を開き、けれど声が何かを象どる前に閉じられた。



腹が立つ。
苛々する。
何に、と問われれば自分に、と言うべきか。
自転車を漕ぎながらサスケは胸に湧き上がり、腹の底に溜まっていく心地良いものとは正反対の感覚に神経が乱されていた。
原因になる元は分かってはいる。
確かに関係がない。
ナルトの言う通りサスケには何の関係もないのだ。ナルトがどこで寝ようが、どんな環境にいようがそれはナルト自身が選ぶ事でサスケが口出しをする義務も権利も無い。
その事実が分かっていて尚、強く漕げば漕ぐほどきつくなる寒さが気になり、寒さの中でいるであろう馬鹿が気になった。 気になって苛々する。
そうなっている自分に腹が立つ。
意地のように、どう考えてもただの馬鹿なのだから放っておけと言い聞かせ、頭から追い出そうとしても似合わないと思った笑みを思い出し、また苛立ちがじわりと広がる。
「クソッ」
短い悪態でそれを出そうとするかのように自転車を止めて初めて一つ道を行き過ぎた事にサスケは気が付いた。
目の前にあるコンビニは目印で、この手前にある道を曲がらなければいけない。
方向転換をするためにサドルから降りたサスケはぐるりと車体を回し、また自転車に乗ろうとした足を降ろした。
硝子越しに見えた温かい飲み物とすっかり冷えた指先とが繋がり、コンビニへと入っていく。
暖房がそこそこ効いた店内に入ると、如何に自分の身体が熱を失っていたのかが分かる。
よくあるホット用の小さい物ではなく大きな缶コーヒーを見つけ、手に取るが砂糖とミルクたっぷりのカフェオレで甘い物を苦手とするサスケが到底飲める代物ではない。
賄いの夕食にデザート代わりと出されたココアを嬉しそうに飲んでいたお子様味覚を持つナルトなら別だろうが。
不意にまた思い出し、脳裏に浮かべてしまった派手な色彩にサスケの顔が嫌いな物を口に入れたようになる。
「クソッ」
コンビニに入る前と同じ文句を吐き出したサスケはカフェオレと無糖のブラックコーヒーを取り、レジに並んだ。



地下に設けられた改札に続く階段下で手に吐いた息は瞬時に白くなり、冷めていく。
「さむ…」
終電を過ぎてホームに入らないよう降ろされたシャッターに凭れ掛けるが、鉄に接した部分からじわりじわりと体温が移動していき、熱を奪われていくようでまた身を離す。
座っている石の階段も同様で、ゆっくりと身体を休めることも出来ない。
持ち物の一つで、野宿の時に欠かせない毛布を取り出す。例えどんなに薄っぺらくとも、元毛布と名付けたくなるほどの物でも今のナルトには暖を取る貴重な品に違いなかった。
「あーハラ減ったかも」
夕飯にと賄い料理を貰ったが、正直物足りないというか小腹を超えて中腹が空いている感じだ。
近くにコンビニがあったのは憶えているが明日、というか今日だが駅が動き出したら近場で月単位で借りれる部屋も探さなければいけないし、無駄使いは出来る限りしたくない。
部屋を借りるにはそれなりに出費がいる。今手持ちの金額は過去の経験から想定している額のギリギリでいざ足りません、では話にならない。
その為にたった数千円の宿泊費もケチっているのだし。
けれどもくぅと鳴った腹の虫の鳴き声がナルトの意志を揺らす。
どうするか、と目を閉じ真剣に悩んでいたナルトは右側に温度を急に感じる。
「オイ」
「うわっ」
何の前触れ無くあてられたそれはあまりに温かくてナルトの冷えた頬には熱いくらいだった。
当てられた熱さと、一緒に側に落とされた声に肩をびくりと跳ね上げながら目を開けると、目と髪の黒とナルトと同じように寒さで色を失い青白くなった肌が見える。
「サスケ?何やってんの、こんなトコで」
今日一日ですっかり見慣れた仏頂面が座りこんでいるナルトを見下ろしていた。
「やる」
どうしてサスケがここにいるのかという疑問の答えの代わりにぽん、と放り投げられた物体を咄嗟に手を出して受け取ると、カフォオレのホット缶で、さっき頬に当てられたのはこれかとぼんやりと思う。
「え、あ、アリガトウ」
突然の出来事に軽く混乱しながら缶の温さを確かめるように手の中で転がしていたナルトの頬に、今度はサスケの掌があてられた。
低い体温だけれど、夜風にずっと晒されていたナルトの頬よりはじわりと染みる温さがある。
「サスケ?」
一体何なのだろうと上目に見て、無意識に頬を摺り寄せたようになったナルトにサスケは口の端を自身すら気付かぬほど微かに上げた。
「ウチに来い」
そう言うやいなや、頬に触れていたサスケの手はナルトの腕を引っ張り上げて立たせる。
「ちょ、いきなりなんだってば!てかいいって!そんなん悪ぃし、家の人とかにも迷惑掛かるし、とにかくいらねーって!」
「煩せぇ。大体こんな所で寝られて凍死でもされちゃこっちの目覚めが悪いんだよ。俺は一人暮らしで迷惑掛かる相手なんざいねぇし気になって睡眠不足になる方が迷惑だ」
「意味わかんねぇって」
「分からなくても迷惑なのには変わらねぇんだよ。だから責任取ってウチに来やがれ、ナルト」
あまりにも傲岸不遜に、不機嫌に言い放ったサスケに、ナルトは一瞬呆けた。
初めてまともに呼ばれた名前はまるで怒っているようなのに、呆れるくらいの優しさが滲んでいる。
「サスケってば馬鹿?」
ぽかんと開いた口が横に広がり、笑い声が止め処なく零れていく。
「ウスラトンカチのてめぇにだけは言われたくねぇ」
憮然としたサスケに一層笑い、失礼ながらも笑いで溜めた涙を拭った青目がサスケを真っ直ぐに見上げると、すぅっと細まりくすぐったそうな笑みを開かせた。
「しょーがねぇから一宿一飯の恩ってやつを受けてやるってば」
笑顔がほんのりと赤く染まっていた事に気付き、伝染ったように熱を持ったのを隠すようにサスケは顔を顰めて口を開く。
「誰が飯まで付けるっつったよ」
ふらりとやって来た気紛れな金髪の猫がサスケの家を棲家にする、最初の夜が更けて行った。





















(終)


『爪切り』の二人の出会いでして><;
なんかこう、ふらっと来て猫のように懐いたり懐かなかったりする気紛れなナルトさんとかが大好きだったりし、します。普段はまるで犬のように人懐っこいのに、一定の場所にはあまりいない、風来坊というかスナフキンなナルトさん(笑)
あと他人には優しいのに自分からは滅多に甘えてこない、頼らない、頼ってもここまでと頑として決めているような、そんなナルトさんを無理矢理、めちゃくちゃ甘やかしたくて…!
もう毎度毎度、やまも意味もオチもない駄文で本当にすみません;
こんなんですが、読んで下さってありがとうございました!


'05/12/1