ナルトは泣かない。
泣いた事が一度もないわけではない。
むしろあの激しい感情そのものを溢れさせる涙をあいつが持たないはずがない。
だが、泣かないのだ。
いつだって自分の事では。
少なくともオレは見た事は無かった。





泣き顔





給料日にメシを奢らせる約束を取りつける事に成功した、下忍の頃からの習慣になりつつあるアスマとの一局が終わったシカマルは上機嫌のまま上忍の待機室を出た所で、うちはサスケと会ってしまった。
「よぉ。お疲れさん」
「ああ」
丁度用があって掴まえようと思っていたという理由だけでなく、遠くですれ違うならともかく、顔を合わせて無視できるはずもない――サスケならば出来るだろうがシカマルには出来ない――ので声を掛ければサスケは相も変わらずの無愛想さで応じた。
「任務報告は終わったのか?」
「ああ」
訂正。相も変わらずの無愛想プラス不機嫌さで。
ちょっと世間話の一つでもしようという気は欠片も持ち合わせてはいないらしい。
だがこちらも昼間受けた相談があるのでサスケの意を通してやるつもりはない。
その為にわざわざここで時間をつぶしていたのだし。
のでその気を起こさせることにする。
至極簡単な方法で済むのがありがたい。
この一言、というか名前を出すだけだ。
「そういや今日ナルトに会ってな」
それだけでそれまでの苛立ちと無関心を浮かべていた黒の目に動揺と関心が生まれる。
予測通りの反応を示され、本当にナルトが絡むとこいつは単純だと改めて思った。
「それで?」
「任務もねーのに受付所に来てたんで茶ぁでもしようかっつー話になって…おい、そんな睨むなよ」
「うるせぇ。さっさと話せよ」
「あー、そうしたいのは山々なんだけどよ。メンドクセーがちっと長くなるんで場所移すぜ?」
「………」
この無言は肯定と取っていいのだろう。
そう判断したシカマルは何も言わないサスケを放って先に歩きだす。
本当は本当に面倒臭いのだ。
出来るなら今日、明日サスケを掴まえられなくてもいいとどこかで思っていたのに会ってしまったから。
ツイてねー。
密やかに胸の中で溜め息を吐くきながら近くにあるいきつけの居酒屋に向けて足を動かし続けた。


宵の口に入ったばかりの店内はまだ人がまばらで、話しをするにはちょうど良く、注文した冷酒とつまみのたこわさが来た所でシカマルは漸く先の会話を再開した。
「まぁ、なんだ…ナルトはガキだわな」
返事の代わりに無言の肯定と非難の視線が返される。
肯定する所があるが、それだけでないと言いたい、というかオレがナルトの事をどうこう言うだけでも気に入らないってか。
ああ、本当に厄介な野郎だ。
「そのくせ自分の欲求は素直に出せねぇ。何も考えねーで甘えるってガキみたいなコトをしねぇだろ。仕方を知らない、未だに慣れてないと言った方が正しいか?」
「何が言いたい」
くいっと喉に旨い温度に冷やされた冷酒を呷って視線を戻せば、写輪眼でも出てきそうなほど険悪で不愉快そうな顔と声とぶつかる。
もう我慢を越えたらしい。
厄介な上に狭量だ。今更だが。
「あーつまり、いきなり好きだった奴から告白されても、それを受け止めて自分の気持ちを言う余裕なんて持てる奴じゃないって事ぐらい分かれと言いたいだけだ」
それまでの不機嫌さが眼を僅かに瞠り驚いたものへと一変する。
「……ナルトは…」
「だからテメーの事がそういう意味で好きなんだよ」
「違う、断られた…」
はっきりと言ってやった言葉に困惑を浮かべながらサスケは否定した。
やっぱりそう受け取るよな、ナルトの取った行動は。
というか告白して逃げられればそう受け取らない方がおかしい。余程の楽観主義か馬鹿のどちらかだろう。
だが相手はあのナルトなのだ。もう少し回りこんで考えてもいいだろうに。
それだけの長い付き合いをしているし、見ているのだから理解しているはずだ。
「断ったんじゃなくて、恥ずかしくて逃げちまっただけだとよ。その、オメーが性急にコトを運ぼうとしたから」
「しょうがねぇだろ、限界だったんだよ。あいつがあんな……」
口の端を噛んで視線を逸らし記憶を反芻するサスケの言葉の先を、今は絶対促したりしないでおこうとシカマルは心に誓う。
きっとやれナルトの仕草が誘ってただの何だのと言うに違いない。
ナルトの天然無自覚でされる甘えは確かにこう、色々と思わされる所はあるがそれに乗ってしまってどうするんだ。そんな事をしてたら年がら年中コトを起こさなくてはいけないだろうが。
…………ある意味起こしてやがんな、コイツ。
「兎も角、断ったんじゃなくて言えなかったんだとよ」
「だから、違う」
「はぁ?」
頑なに否定を繰り返すサスケにシカマルが今度は眉間に皺を作った。
「あいつは…ナルトは誰でも好きだろ。俺でもお前でも」
「そういう部分があるこたぁ否定しねーがな」
「俺が好きだと言ったらナルトは初めそれは勘違いだと言った。だが、勘違いをしてるのあいつだ」
でも違うだろう、と続けようとしたシカマルの言葉をサスケが遮る。
「側にいる事を許して、受け入れて、同情して、他の奴らに向ける感情と同じ物を勘違いしただけだ。だから俺から逃げた。勘違いだと気付いたから」
一度手にしてから失うのは耐えられない。あの夜去って行ったナルトを見て痛いほど分かった。
そう悲痛な面持ちで言うサスケにシカマルは心底呆れた。
ナルトといいサスケといいどうしてお互い自分の事となるとこうなのだ。
というか人が親切に教えてやった事は全く信じてねーのか。
自分が見たナルトしか信じないのか、このナルトバカは。
「オレはナルトはバカだがそうバカじゃねーと思ってる」
はぁ、と盛大な溜め息の後、そう言ったシカマルをサスケは訝しげに見上げる。
それまでのサスケの言った事に対する会話の返答としてはあまりに繋がりがない。
「んでもってお前はバカじゃねーけどやっぱバカだと思う」
何が言いたい、と自身の落ち込みから来る不機嫌さを以ってサスケのまた凶悪な物へと戻った視線が問う。
が、続いた台詞にまたしてもそれを持続出来なかった。
「お前、ナルトが泣いた所見たことあるか?」
飄々とした言い草で、その目は欠片もふざけたものを浮かべていない。
サスケは顎を引いた。
「何度も、泣かせた」
もしサスケが許しを乞う事があるとすればそのこの世でその事だけだ。
ナルトは何度も何度もサスケがぶつけた感情を受け止め、それを決して放り出しはせず自らが傷ついて涙を流した。
いつだってその心を偽りはしないから。それがどれほど恐ろしく、凄いことかをサスケは知っている。
「オレはな、あいつが泣いたのを見たことがねぇ」
「そんな事は」
「ああ、ねぇよ。ナルトは馬鹿がつくほど優しい。忍の世界でそんな感情を持ち続けるだけの強さがある。何度も誰かの痛みを受け入れて、感じて、泣いてる。でもな、」
一拍置いたシカマルの顔に悔しさが一瞬滲んで消えた。
「あいつが自分の事で泣いたのは見たことがねぇんだよ」
面白い程にサスケの顔色が変わる。普段の無表情しかしらない連中が見たら何と言うだろうかと、無駄な思考をしてしまうほど。
それを紛らわすように冷酒を空になっていた猪口に注ぐ。
「他人の為、っつてもそれも突き詰めりゃそう感じる自分の為とも言えなくもないがな。ただ何かしらの感情を向けられて、純粋にそれを受けた自分に対して泣くナルトをオレは知らねー。多分、他の同期の連中も、下手すりゃあのアカデミーの教師でも見た事はないんじゃねーのかと思う。けど、お前はあるんだろ。お前が言った言葉、やった行動で、泣いたナルトを見た事が。他の誰も見て無くてもお前は見れてんだろ。ソコんとこが違うんじゃねーのか。他の奴らとお前に対する気持ちの持ち方が」
再び呷った冷酒はすっかり温くなってしまっていた。
「と、オレは思う。てかさっさと本人に確かめろよ。どうせオレが何言ってもそうは信じてねーんだろ」
メンドクセーと投げやりに締めくくったシカマルにサスケは否定も肯定もしない。
きっと今は必死にナルトの事には簡単に狂ってしまう頭を働かせているのだろう。
そして、このまま何も言わずあと少しすれば店を飛び出してナルトの元へ向かうのだ。
「お前は…いいのか?」
だがそれまで外れていなかった予測はここで初めて違えた。
「は?」
しかも必要最低限の単語が抜けていて何が言いたいのかさっぱり分からない。
分かりたくもない。
「確かに、今はお前の言う通りなのかもしれない…が、お前は見ないままでいいのか?」
ナルトの泣き顔もその他の顔も全部見れる場所に立たないのか。
そんな事を聞いてきやがるなんて、分かりたくもないのに本当にこの頭は。
そして自分の事以外、ナルトが絡んだ場合には恐ろしく察しが良くなるサスケに心底嫌な気分を味わってしまった。
シカマルが奥底で燻ぶりつづけさせているものを見抜いて言うのだから最悪だ。
だが、それでもやっぱりこいつは馬鹿だと思う。
そこまで見抜けてなんで分からないのか。
「ま、前ばっかみてるあいつの隣を頑張って目指すってガラじゃねーからな」
気の抜けたような口調を返すシカマルにサスケの目はあからさまな疑いを向ける。
そんなに心配なら人を煽る様な事など初めから言わなければ良いのに、と呆れを通り越した苦笑が出た。
「オレはあいつの背中を見てるのが性に合ってるしそれでいいと思ってる。あいつが笑ってられりゃそれでな」
幾分和らいだ探るような視線を送ってきていた黒の双眸はそれでもまだシカマルを疑うらしい。
本当にメンドクセー奴らだ。
そう思いながらも放って置けない。
きっと如何に腹立たしく感じる時があろうとも目の前のこいつがいないとナルトはまたどこかで泣き顔を見せる事になるのだ。
そんな癪な話は無い。
それにしても本当に面倒臭い。
ったく今日一日で何度面倒だと心で呟いたのだろう。
本気で疲れた。
のでそろそろ予定通りの退出をしてもらうか。
「取り敢えず、ナルトは今日一日家にいるって言ってたぜ?」
今度こそ店を飛び出したサスケを見送りながら、見たくないわけじゃないが、それでもやっぱりあいつには笑顔が一番似合うから、と燻ぶり続ける一番面倒な物に言い聞かせる。
残った冷酒は口に合っている筈なのに酷く苦く、不味かったが。










(終)


また不憫で不幸で損な役周りのシカマルのお話(笑)幼馴染の続編にあたります。てかごめん、シカマル。
シカ→ナルではきっとちょっぴりシカマルはサスケに腹立ってる部分があると思うんです。そう熱くはならないがじわりと腹底にあるような。でもナルトが良いならそれが一番良いと思ってしまうシカマルが大好きです(笑)きっとこれからも苦労は終わらないんだろうなー。ナルトが火影になっても、てかむしろ増えそう(笑)ごめん、シカマル(笑)


'05/8/10