身勝手な振る舞いに










乱雑に点在する木の板は一見だけするとまるでゴミのようにも見えるかもしれない。
事実、折られたり微塵にされたりしてもう木屑となってしまった物と混在して傍目にはその差が瞬時には付けられないだろう。
だが腕の良い大工達の目はそれらを正確に見分け、どこに使えば良いか木の本質を見抜き、次々と在るべき形へと変え、在るべきものへと生まれ変わらせていった。
最高の、夢の船へと。
そんな作業を本来ならば一番に目を輝かせて誰よりも近くで見ているだろう、生まれつつある船の頭になる男の姿が今はない。
この船を新たなる家とする連中の職業と、何より船員達自身の事情を鑑みればいつ何時どんな事態になるか分からず、進水式がすぐにも行えるよう海に隣接した―――元と言って良い状態だが、それでも集まっている腕と材料は最高の―――工場主から提供された部屋にじっと腰を降ろしていた。
一処に何もせずじっとしているなど性に合わぬ性格なのだが、一文字に結んだ口と頑なで強靭な意志を常に持っている黒い目はまっすぐこの部屋の唯一の、外へと繋がる扉を向いて動かない。
つい先ほど腹の虫が鳴り出したルフィの前に何も言わず彼の大好物である特製ソース仕立ての骨付き焼き肉とバランスの良く組み合わされた旬の野菜のマリネ、ふっくらと焼けたバタールと柔らかなミルクとコーンの甘みが存分に引き出されたポタージュスープを置いたコックが話した話を聞いてからずっとここに座っている。
買ってもすぐに目減りしていく食料の買出しやら、情報集めやらそれぞれの役割を持ち、街内へと出て行ったこの部屋にはルフィ一人がこうして座っているだけで、他には誰もいない。
否、いなかった。
殊更ゆっくりとした動作でもなく、極自然な速度で扉が内へと移動する。
どくん、と大きくルフィは心臓を鳴らし、けれどそれは出来うる限りすみやかに静かにルフィの体内で吸い取られて、感情を表に出しやすい顔に大きな変化を齎さなかった。
ただ、誰かが部屋に入ってきただけだという事実にそぐわないほどの真剣さを帯びた目だけがそれを矢張り如実に映し出してはいたけれど。
否応なしにどくん、どくんと期待に高鳴った胸とその裡を表した目が期待の光を灯すが、扉が完全に開ききった所ですぐに終息を向かえた。
見えたのは今ずっと待っている鼻の長い、嘘の面白い男ではなく、鮮やかな緑の髪と鋭くもその奥が優しい眼が印象的な剣豪で、ルフィは落胆を隠そうともせず、肩を落とす。
「なぁんだ〜、ゾロか」
「俺じゃワリィか」
唇を突き出して言ったルフィに日課にしているセットトレーニングを終えて帰ってきたゾロは、その軽く発せられた言葉が持つ感情と重さを理解しつつもつい眉を寄せてしまった。
自分ではない、自分では駄目だと言われるような言葉は例えどんな状況、意味であってもこの男の口からだけは聞きたくない。
そんな風に想う原因にゾロはまた少し不機嫌になりながら、ずっと下ろしたまま腰を動かさない唯一と認めた船長から少し離れた壁際へと座る。そうしてトレーニング後の肉体の休息という名目の昼寝を行おうと壁に背を預け、目を閉じるが、その意識は眠りの世界ではなくルフィに全てが行っていた。
「遅せぇなー」と小さい声で呟き、不貞腐れたように下唇を突き出したあと、また口を真一文字に結んでただもう一度仲間になる為に戻る男を待っているルフィに募るのは、楽しさとは逆の感情で、楽しくはないとはっきりしているがそれがどういう種類なのか分からなくなる。
正確に言えば元より曖昧に把握していなかった感情がより一層混乱を深めるのだ。
『間違ってもお前が下手に出るな』
そう口を切り、けじめの在り方を全員に納得させた事を後悔はしていない。
今でも間違っていない、この方法がこの先々で一番良い結果を導くものだと思っている。
そうしたゾロの言葉を理解し納得する奴だからこそそもそも付いてきた。これからも付いていく。他の誰でも駄目だ。
船長はあいつでなければ。
普段はどれだけ威厳の欠片も感じさせないような言動を取っていても誰にとってもそれが純然たる事実で、だからこそその事実が揺らぐような因子が僅かでもあってはならない。
ルフィが船長でなくなった一味になど少なくとも自分にとっては意味はなく、認めることなど出来はしないのだから。
だがその実、例え一味として崩壊したとしてもルフィさえいればまた二人でやり直してもいいと、奥深く卑怯な本音が小さく嘯いているのもゾロは自覚していた。
どれほどの『仲間』がいたとしてもそれはルフィが居て初めて自分の『仲間』として繋がっていく。
ルフィが居て、その彼が頭だからこそこの一味に居るゾロにとって、裏を返すならばルフィさえ居ればいい。
ただ自分にとってはそれでも良いのだがルフィは違う。
ルフィは誰一人失いたくなく、代わりを求めたりしないからこそ『仲間』なのだ。
勿論自分とて他の連中に一切の情が無い訳ではないし、ルフィが抱え強く想っているものが理解出来ないわけでも同じように感じることが全く無いわけでもないがルフィほどに強く想っていない。
ゾロにはどんな想いがあったにせよ一度一味を抜けると決意した男が、またどれほどの想いを胸に再び一味に戻り『仲間』として過ごすか、もしくは戻らずこのまま別れるか最終的にはどちらでも良かった。
だが。
だが、だ。
もし本当に戻ってこなければ自分がここにいる全理由であり、夢と並ぶほどに大きく己を支配している野朗が、ルフィが悲しむ。
きっと本当は悲しいくせに仕方ないと笑うその笑顔まで予想がつき、それが酷く嫌な気分にさせる。
恐らく調子の良い奴の事だ。こちらから一声かければすぐにでも戻ってきて、出向の時に痛みを殺したルフィの笑顔を見るなんて可能性は無くなる。
けれどそれではこの先に崩壊という形でルフィがもっと多くの『仲間』を失う可能性が生まれ、その時に今の最悪な結果よりももっと悲しむ事になるかもしれない。船長としてルフィを立てられない奴ならば、そんな危険を残す可能性を産む奴ならばやはりこちらから迎えに行くことは許せない。
この先ルフィが悲しむような事態にならぬ為にと考え行った事が、今ルフィを悲しませるかもしれないのだから堪らないジレンマに皮肉を覚える。
更に先々を考えての事とはいえ迎えに行くのを止め、待つ事を要求したのは他の誰でもない自分なのにルフィが自分以外の誰かを待ち望む事に腸が煮えくり返りそうなほどの嫉妬を覚え、同時にそれでも自分の言葉を聞き入れてくれ、一種、賭けのような状態でじっと我慢している姿に嬉しさもどこかに湧いてくるのだから始末に終えない。
我ながら一体どうしたいというのだ。
感情の整理の仕方は分からないが、行動としては何も出来ないというのは分かっている。
一度決まったこの事を、しかも今尚正しいと信じている事を覆すなどあるわけがないし、だとしたらじっと今すぐにも飛び出してもう一度一緒にやろうと差し出したい手をぐっと堪えている男と同じように待つしかない。
男が空元気ではない笑顔で笑うのを。
頭ではそれが理解出来るのに腹の中はごった煮にされ、ぐるりと渦巻くものが落ち着かないのが非情に厄介だった。
(あの野朗、来なけりゃ叩き斬ってやる)
どんな理由があるにせよ現状を作り出した大部分の原因を自分で担っているくせに、半ば八つ当たりのような身勝手な唸りをゾロは心で上げる。
そうしていつまでたっても平穏とは遠い感情の積み上げに、形だけでも眠気を待って閉じていたが結局眠れるわけなどないと悟り、目を開いた先には―――元より頭が向いていたのだから当たり前に―――ルフィの姿がすぐに視界に入った。ただ一つ、頭の向きだけがゾロの予想とは違っている。
目を閉じる前とは寸分違わず扉が開き、来ると信じている男の姿を遠くに見ているのだとばかり思っていた深い黒を宿した両眼がゾロを真正面から捉え。
じっとこちらを見る眼と口が、けれどそれ以上まったく動かず、それでいてゾロの瞳孔から易々と意識を奪い取り思考を占領した。
喉元に溜め息のような熱が篭るのを感じながらゾロは無言で立ち上がると、他の身体は全く動かしていない船長の元へとゆっくりと足を向ける。
立ち上がる時に声一つ出さないお互いの代わりのように、三本の剣がぶつかりあい大きくも小さくもなく鳴った音が部屋の外と隔離されている中で響いた。
目の前に立ったゾロは床に腰を降ろしているルフィから目を合わせるならば自然と見上げる形になり、顔を上げてくるがそれでも何も言わない。
音にならない要求を容易く呑み込んだ男は方膝をつき、黒い目をしっかりと真正面から覗き込む。
薄い緑の目が深く丸い両目の黒色を明瞭に映したと思う間もなくそれはすぐに見えなくなった。
どしん、と軽い衝撃とともに上腹に潮風ですっかりとごわついた、けれど独特の手触りが好きな黒い髪が押し当てられる。
目線一つで人を呼びつけ、ぐりぐりと突進を続ける小動物のように頭を押し付けてくる船長をゾロは黙ったまま受け止めた。
片手で掴めそうな後ろ頭と項から続く緩いカーブを描く背中を見つめながら腕を回してもいいものかどうか考える。
回したいが、こいつはそれを望んでいるか、否、許すかどうか。
答えが出ぬうちにルフィの声が腹に吹きかかる息と一緒に吐き出されてゾロの耳に届き、結論を棚上げさせた。
「来る」
ぎゅ、と背中に柔らかく伸びる細い腕が回される。
またぐり、と頭が押し当てられ、髪に隠れていた額がゾロの腹で擦られた。
「ぜったいに、来る」
確固たる自信を滲ませるように言葉は短く強く発せられる。
それを信じて疑わず、信じるからこそ事実になるというように。
けれどどうしてだかゾロは腹に皮膚越しの体温だけでない熱と、吐き出された息だけでない温かく湿った感覚を捉えた。
声には、言葉には揺らぎなどないのに。
瞬間、つい先ほどまで確かに存在していたはずの判断のつかない感情はするりと溶けるように存在が消え、ただ焦燥に似た想いに代わってゾロの腕を動かした。
立てていたもう片方の膝も着いてゾロよりも一回り以上小さく細い、けれどずっと大きいものを背負える背中を両腕で抱きしめる。
「ああ」
随分と間の抜けた返事だというのに、上がった顔は満面の笑みを嬉しそうに浮かべていて、ゾロはやはり来なければ斬ってやる、と物騒な八つ当たりを腹の底で身勝手に呟いた。





















(終)


WJ本誌でウソップが船に戻るか、戻らないかって時に書き殴ったものです。偽者すぎてごめんなさい…!
駄文すぎてごめんなさい…!
なんだかんだいってゾロはルフィに甘いといいなぁ。公式だと思ってます、ゾロルは(そろそろ黙ろうか)
リサイクル精神発揮してしまいました。すみませんー!
こんなんですが、読んでくださってありがとうございました!


'07/6/16