窓からさら、と流れ入った風はもうすっかり秋に近い色を纏って二人の間を走る。
ふわりと揺らされたカーテンは陽射しを受けクリーム色が白になり、室内を照らし、仕事をしつつもまるで休日かと錯覚するような湛えられていた緩やかな空気が変化してしまったのは瞬き一つの間だった。
「好きだ」
聞きなれた低い声が聞き慣れない言葉を紡いだ。
目の前に座り、漆黒の目を欠片ほども逸らすことなくこちらを見ている男の口から聞くなど、夢ですらあるとは思わないと考える事もなかった台詞を。









Growth game2









喧騒も他者の声の一つもない室内でそれはナルトの耳にしっかりと届いた。
唐突な、寸前までの会話とあまりに繋がりのない言葉に青い眼がきゅっと小さく絞られ、それから頭を捻る。
何が、と聞こうとして熱の篭った視線にぶつかってしまいそれ以上は声にならなかった。
言われた言葉と相まって鈍いナルトにどういう意味を持っているかを知らしめたから。
分かり、困った。
一番最初に思った感情は『困る』だった。
何故かなど分からないが確かに一番最初に浮かんだ感情はそれで、同時に同じくらい恥ずかしさが込み上げてきて頬が一拍毎に熱くなるのが分かった。
「あっと、そのっ…」
驚きと動揺を多分に含んだナルトの声が暫しの無音を破り、サスケは小さく眼を見開いた。
癖にすらなっているポーカーフェイスが崩れ、苦い物を含んだかのように顔を顰める。
小さく舌が打たれた。
「何でもねぇ。忘れろ」
何かを言おうとするナルトの思考までも遮断ような声が放たれ、一拍の後にはまるで何事も無かったかのようにサスケは新たな資料を手に取り作業を再開されるがナルトの手がいつまでたっても動かない。
「休んでんじゃねぇよ、ウスラドベ」
暫くは無視を決め込んでいたもののいつまでも減らないナルトの未整理の冊数にサスケはついいつもの口癖が出てしまったのか、それが合図のようにナルトはの時間が漸く流れ出した。
「ドベ言うなッ!」
こんな時にでも返してしまうのはもう、立派な条件反射の域に達している。
妙な癖にナルトは何故か安心し、気付かれぬほどの小さな息を吐くと残りの資料へと手を伸ばした。
取り敢えず今はこうしているのが良いように思えたので。
頬が熱いが、サスケが言った事を忘れるなんて出来ないが。
一瞬歪んだサスケの顔を見なかったわけでも、何も思わなかったわけでもない。
だけど、どうすればいいのかさっぱり分からないのだ。
また止まりだしたナルトの手をもう一度サスケが動かすのは時間の問題だった。



カカシから任されたレポートに取り掛かって2週間近く。
締め切りまで休日を含めて6日という事もあり、大まかな流れはまぁ形になっていた。
特にサスケが過去5年の推移統計と今年度の推移統計を国内地方別に比較させた資料とそれにより分かった未開発エリア地域をナルトが今後の展開予測と現状実態をミズノコーポレーションが半年前に公開している資料ではなく自身で調べ出したデータを合わせて出した今後成長予測推率はなかなかなものだと自負出来る。
後は細かな修正と、説明文章の多少の練り直しだ。
それをカカシに提出し、OKが出れば完成になる。
ここまで本当によくやったとナルトはかつてない程自分を褒めたくなった。
仕事の内容は勿論なのだが、何より精神的に。
あの通信センターの一件以来、どうしてもサスケを意識せずにはおれない。
じっと真っ直ぐに外されない視線だとか、時折柔らかくなる漆黒の形の良い切れ長の眼だとか、低く耳に良い、良すぎる声だとか、それら全部ひっくるめて整ったムカつくぐらいに慣れたはずの、同じ男としては悔しいほどに格好いい顔だとか、悪態をつきつつもされるフォローやふとした拍子に見せる優しさとか。
以前なら思いもしないくらいにそれらが気になるというか、サスケに見られたり触れられると勝手に頬が熱くなったり、心臓が急に勝手に頑張りだして苦しくなったりする。
その切欠を作った本人は飄々としてるのに。
それが悔しくて却ってナルトも意地になるというか、気にしないように気にしないようにとしているがどうしても難しい。
何も考えなかった以前ならもっと、絶対こいつとは気が合わないと思ったりもしながらも一番近くで信頼して背中を合わせられる安堵感があったのに、と何度溜め息を吐いたか。
そうして分かった。
あの時サスケに好きだと言われて何故困ると思ったのか。
こんな風にサスケとのこれまで大事にしてきた仲間や、こっそりとナルトは想っている親友という関係が壊れてしまいそうになのが困ると、意識せずとも思ったのだ。
その予想通りナルトは――変な意識のせいでだが――サスケへの態度に悩むようになり、考えすぎて大好きな一楽のラーメンのスープを残すという大事件――事実その場にいた店主と同僚のキバが驚きのあまりナルトの熱を計ったぐらい普段のナルトにしては考えも付かない行動――を起こすほど、精神的な負荷は相当なものだったと思う。
(大体、あんな事言っといて忘れろなんて勝手言ってんじゃねーってば。バカサスケ)
ちら、と前を見ればサスケ一人で請け負っているレポートに目を走らせている涼しげな顔があり、それが無性に腹立たしくなってくる。
こっちはあの一言でこんなにも悩んでいるというのに、言った本人はどこを吹く風と至って平静なのだから。
それとももう本当にサスケの中では忘れてしまえる事だったのだろうか。
あの時だって唐突過ぎる言葉を理解しきれずにいたナルトを置いてサスケはすぐに仕事へと切り替えられていた。
あれはただの気の迷いだったのだろうか。
ぽっと胸の中に点が生まれる。
点は黒くじわりと染み広がるように大きな穴にになり、それは痛みと不快な騒つきをナルトに齎した。
そこから波及して動揺が今度は押し寄せてくる。
(何で、何でこんなんなるんだってば…)
サスケの言った「好き」がただの誤解ならばそれは今までと代わり無い関係だけで居られるはずで、それはナルトを悩ませている原因が無くなるということで、ナルトにとっては喜んでいいはずだ。
だがそれを否定するように生まれた点は疼いて、息苦しくさえさせてくる。
ぎゅうっと知らず掴んだ胸元のシャツが皺を作った。



休憩時間が嫌いになれる。
オフィス内唯一の喫煙ルームですっかり温くなったコーヒーを持ちながらサスケは紫煙を吐き出した。
やるべき事で頭を埋めてしまえている時間はいい。
だがちょっとした事で出来てしまう空白の時間、普段なら息抜きに使えると喜ぶべき合間が今のサスケには酷く苦痛だった。
仕事以外でデスクにいるという事はただ何もなくナルトを見てしまうという事だ。
仕事という次から次へとやらなければいけないものが詰まっているなら、サスケの頭はナルトに向ける言葉を作れるし、考えた事から思ったそのままの感情も出せるし、言える。
だがそれが無くなれば途端にサスケはどうすればいいか分からず思考やらが全てを停止してしまいそうになる。
残るのは一度箍が綻んでしまったナルトへの想いとそれが際限無く生み続けるナルトへの欲求。それらを押し留めようとする理性とナルトの何事も無かったような態度から突きつけられる望みの無さへの落胆と口にしてしまった後悔。
本当なら今すぐこのまま立ち去り、当分は会社に来たくないとさえ思うが言ってしまったものはどうしようもなく、それに対して何かを返してもらえるなど期待を抱けるほどサスケは楽観主義者では無い。
あの時ナルトの困ったように顰められたナルトの顔に熱の衝動に押し切られた部分がすぐに冷え、無かったことにしてしまえばいいと頭が出した卑怯な結論に従った。
だが、そんな欺瞞に納得する程この感情は穏やかなものじゃない。
どうしようもなく諦めの悪い己の感情を持て余し、けれどもどうするべきか分からずこうして逃げている。
我ながら情けないと思うが自分から忘れろと言った手前と望みの薄そうなナルトの態度にもう一度あの事を口にする事も、ましてやナルトの返事を聞くなど出来ない。
薄い可能性、というのだけでなく例え完全な否定を受けたとしても諦められそうにないのが容易に想像がついて。
そんな己が滑稽ですらあると思うがそれこそどうしようもない。
どれだけサスケが否定しようとしても勝手に、恐ろしく自然にナルトへの想いは次から次へと湧いてくるのだ。
こうして何事も無かったように振舞わなければいけない苦痛から逃げ出したりしていても。
結局最後はそれでもナルトの側にいたいと思うし、その姿を、あのくるくると変わり輝く青瞳を見ていたいと思う。
ナルトに対して抱いている感情は恋愛感情だけでなく、同じ仕事をする仲間として、負けたくない相手として、大事な親友としても想っており、どれ一つとして欠けずにサスケの中でナルトを常に求めてしまうようになっているのだ。
依存にさえ近い。
また吐き出した息は気鬱さと煙が半々で出てきた。
長くなった灰の部分をぽんと指で叩いた軽い振動で備え付けられた灰皿に落とす。
入社し、ナルトに匂いを嫌がられてからは減る一方だった煙草がこの一週間であっという間に増えてしまった。
落ち着かない精神を誤魔化すのとデスクから離れる為の二つの理由を兼ね備えている。
腕時計で時間を確認するとそろそろ戻らなければならなかった。
漸く出来上がったミズノメディアラインのレポートをカカシに提出する為に。
そろそろルロッテエレクトロニクスの為の打ち合わせ会議が終わる時間で、サスケは最後の一吸いをすると水の入った灰皿に煙草を落とす。
じゅっと火が消える音を聞いた。
この厄介な感情もこんな風に消せてしまえるならどれほど楽だろうかと、愚にもつかない考えをしながら。



「ターゲットプライスは3万9千な…ちょーっと高いんじゃないか〜?」
自分達より幾分広めに区切られたこのパーテーションでの過去一番の緊張を感じながらナルトとサスケはレポートの合否を待っていた。
いつも自分達が担当しているラベルと二人で作成したミズノメディアラインの物。
そしてカカシが高いと言ったのはミズノメディアラインの方だった。
ついに仕上がり今の自分達の全力を出したものだと自信を持って言えるが、これが合格を貰えなければ結局は駄目だ。
最終の明後日が締め切りで、もしやり直しを食らったらと思うと握った拳にどうしても力が入る。
そんな二人の面持ちを見ながら随分と強気だねぇ、とカカシはマスク越しに面白そうに言う。
ターゲットプライスとは株価がどのぐらい上がるか、上げれるかという目標価格であり、株価を予想した数値だ。
ミズノメディアラインは現在3万6千前後の価格を示しており、確かにカカシの言う通りかなり強気の予想だと言えた。
だが。
「大丈夫だってば!レポートに書いたけどエリア拡大と、プロバイダの最低契約更新期間の周期も重なってるし」
「それにより地方の需要がかなり見込めるし、加えて今期も25%の収益が期待出来る」
二人とも一歩も引かない。
少しも怯むことなく答えられたカカシは片方だけ出した目を眇めた。
「今更だがそれは営業が顧客に配布する、直接影響を与えるもんだ。その責任は取れよ」
「え、それってつまり…」
鈍いナルトの横でサスケが不敵な笑みを浮かべた。
「ごーかっく」
笑顔ではっきりと言われたナルトはほっと息をつき、すぐに嬉しさが込み上げてくる。
「やったー!」
飛びあがらんばかりの勢いで喜ぶナルトにカカシは笑顔のまま、地に足をぴったりと戻す忠告を苦笑しながらしてきた。
「喜ぶのはちゃんと結果が出てからにしなさいね」
「分かってるてばよ、カカシせんせー」
「まぁ見てろよ」
しっかりと頷くと二人はカカシのパーテーションを後にし、デスクへと引き上げる。
その足取りは軽く、かつ力強かった。
いくらカカシの許可を貰えても最終的に大きく予想を外し、投資家達に損害を与えるようではレポートの成功とは言えない。
それでもナルトは成功するかどうかの不安よりも高揚した気分の方が大きく、サスケを見れば同じように自信に満ちた顔で口端を上げている。
それが嬉しくてナルトにまた笑顔が咲く。
こういう時サスケと感情の温度のようなものがぴたりと合う感じがとても心地良くて好きだ。
この数週間あれだけ妙な意識をしていたのに変わらない。
理解出来ない自分の感情の所為でサスケの顔が時々見れなくなったりもしたけれど、今もそれはまだ続いてたりするけれど。こうしたサスケに感じる心地良さを感じる関係が無くなったりはしない。
どれだけナルトがおかしく意識しようとも悪態を吐かれれば即座に始まるサスケとの口喧嘩が無くなるわけもなく、今回の仕事でも意見が食い違えばとことんぶつかり合ったし、二人の独自の視点で考えた今度成長予測推率を出したように仲間としてのチームワークも変わらず、否、お互いがはっきりとは見えなかったけれど確かにしていた成長の分より良くなっているとはっきり確認出来た。
ナルトがぽつりと洩らした「ここってもうエリア拡大工事済んでるだよな。この間ラーメンのホームページ探索してて分かったんだけど」の一言に、何も言わず施工業者などから実際の進み具合を割り出し、過去データを算出してくれたサスケと、同じように調べたいと思いついた自分との息の合い方は他の誰とも違うと密かにナルトは思う。
だから今まで作り上げてきた関係が壊れるわけでも無くなるわけでもないのだ。
これまであったサスケとの距離や関係は今もきちんとナルトとサスケの間にあるし、これからも無くなるなんて思っていないし、無くしたくない。
でも確かに変わった部分もありそれがナルトを困らせる。
少なくともナルトにとっては変わったところがあるのだ。
壊れたり、無くなったりしたわけではないが、今まで認識してなかった新しいサスケに対する部分がひょっこり顔を出してしまったような感じ。
それがとても気恥ずかしいような想いをナルトにさせてくるので堪らない。
そして困りはするけれどそれが嫌ではない。
むしろ嫌なのはナルトが変わった原因と言えるサスケが全く変わってないことの方で。
デスクに戻り、椅子を引いて座れば目の前にうず高く詰まれた資料やらコピーやらがナルトの視界を邪魔するが、間から見えるサスケはあの日自身が言ったようにナルトへの告白も気持ちも忘れたようにしか見えない。
そう思うと腹立たしいやら悲しいやら苦しいやら、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた感情が渦を巻く。
何故こんな気持ちになるのかが分からなく、それがナルトを落ちつかなくさせてきた。
どうしてか考えようとしてもすぐに頭が湯で上がってナルトの容量をあっさり越えてしまい一向に答えが出せない。
けれどサスケが言ってくれた気持ちが消えてしまってるのは何だか嫌だ。
でもサスケをこれ以上意識するなんてきっともっとおかしくなってしまうし、それも困る。
どうすればいいのかもう本当に分からず、この事を想うとレポートが上がった喜びも霞んでしまいそうになるというのに、うず高く詰まれた資料の間から見える目の前の無愛想な男はナルトとは正反対にどこか安堵しているようで。
手元にあった資料を抱えて立ち上がり――恐らく資料室へと戻しに行った――サスケを見て、ナルトは無性に腹が立ってきた。
ナルトがこれだけ頭を悩ませている原因であるサスケは今も冷静に次の行動へと移れている。
そんなサスケの様子を見るたびムッとくるものはあったのだが、ここ最近ですっかり貯まった慣れない種類の精神疲労のせいもあり、今のナルトの沸点はとても低くなっていた。
こんなにもこっちは悩んで、考えているというのに、その原因になった男は至って平然と忘れているのだ。
何故こうも苦しいのか、何故こうも悩むのかとかが分からずともサスケに対する怒りがある事だけははっきりと分かる。
勝手に告白をして、勝手にすぐに忘れろと言って、勝手にナルトの気持ちを無視して。
「なんか知んねーけど、すっげぇムカつく…!」
ガタッと音を鳴らして立ち上がり、先に行ったサスケに対抗するように大量の資料を抱えた。
行き先は資料室の他に無い。



整然と納められ、自身の持つ価値を秘めながらただ並んでいる膨大なる情報。
サスケは就務時間が過ぎた資料室で一人、使い終わった資料を分類別に片付けていた。
他には誰一人おらず、静か過ぎるくらい静かだが、この時間ならばそれも納得出来るというもの。
研究職であるアナリストが遅くまで残業するというのは、抱えている仕事に時間を掛けてしまうのは能力の低い証拠として見做されがちである傾向が強い。
比較的残業を悪く捉えない風潮の木の葉リサーチでもそれはやはりある。
ナルトはそういったものには真っ向から反論するが。
以前入社したての時にいた部署の指導補佐に馬鹿にされ、いい物を作るためにもてる時間を掛けれるだけかけてどうしていけないのだと返した。
体裁とか、時間とか気にして諦めるより、いいレポを作ったほうがずっと良いし、諦めないと言い切ったナルトに物慣れなず行き詰っていたのを精神的に救われた新人達も多い。
サスケ自身多少ならずもそうであるし、元より同意見でもあった。
思えばその時からナルトをはっきりと意識するようになったのだ。
そうして、意識が執着に変わるのに、さらにそれを隠しておく限界を超えるのにも時間を必要とさせてくれなかった。
救いようがない己の愚かさに頭が痛くなりそうだ。
だがミズノメディアラインのレポート作りが終わった事で少しサスケはほっとしていた。
このレポート作成の為に遅くまで、それこそ二人きりで残ったり、ちょっと目を離したすきに疲れに押され居眠りをするナルトを前にしたり。
非常に心臓に負担を掛ける想いを何度と無く味わった。
確かに忘れろとは言ったが、仮にも告白した男の前でそんな警戒の欠片もないような事をするなと何度怒鳴りたくなったことか。
結局は気持ちよさそうなナルトの寝顔とうっすらと出来てしまっていた目のしたの隈にそのまま寝かせる事を選んだのだが。
目を閉じたあどけない顔と赤い頬と薄く開かれた唇、割れたそこから覗く桃色の濡れた舌。
あれで襲ってしまっても酌量の余地は十分にあると思う。
ただでさえナルトの前で平静を装うのに疲弊しているというのに、あんな刺激は毒だとさえ言えた。
強引に手を出す事も、かと言って望みは無いときっぱり諦める事も出来ない今のサスケには特に。
チッと苛立たしげにした舌打の音に被さるように、バタバタと騒々しい足音が近づいてきた。
例え今が昼間だったとしてもこの研究所であんな風に走るのは一人しかいない。
「サスケ!」
足音以上にいつもサスケの心を騒がしてくる金色の嵐が資料室に飛び込んで来る。
資料やファイルの小山を抱え、落としそうになりながら入ってきたナルトはサスケの姿を見るなり、叩き付けるように言葉を放った。
「話があるってば」
真っ直ぐ、まるで睨み付けるように見上げてくる青い目にどくりと心臓が大きく脈打つ。
何の事を言われるのかが、容易に想像が付いて。
あの不完全な告白のナルトの答えだ。
少しでも考ればナルトがああいった人の気持ちに関して忘れろと言われてはい、そうですかと納得するような性格かどうかなどすぐに解かる、解かっているはずだった。
だがどこかで希望的観測をしていたのと、それまで何も言われなかった事にその考えをサスケは放置していたのだ。
そのツケが今来て、情けないほど気落ちせずにはおれない。例の如く染み付いたポーカーフェイスがそれを覆ってはいるが。
「あ、けどちょっと待てよな。先にコレなおしちまうから」
芯の通った、男にしては少し高めの声でそんな事を言うと、少々乱雑に棚へと抱えた資料を仕舞っていく。
人をこれからフるというともすれば重苦しくなる筈の雰囲気が欠片もない。
情緒なんてものをコイツに期待するのが間違っているのか、と額に手を当てたくなったが、フられからとしめっぽくされるのも嫌な事この上ないのでむしろこちらの方が有り難いと思い直し、サスケも手に残っていたファイルを片付けを再開した。
コツ、コツと鉄の棚に資料やファイルが当たる微かな音が響いていたが、暫くすると二人とも全てを片付け終わりまた静か過ぎる沈黙になり、それを破ったのはまたしてもナルトの方だった。
最後の資料を戻した棚がある通路からサスケの所へ来たナルトは、先程よりももっと強い視線でサスケを射抜く。
「サスケ、オレってばお前に言いたいコトがあんの」
普段の騒々しさが嘘のように落ち着いた声。
サスケは次の瞬間、息を詰めた。
「こんのバカサスケーーー!!」
予想とは大きく違った言葉で。
「……は?」
「は?じゃねぇってばよ!てめーこの間のアレは一体なんだ!人にイキナリす、好きとか言っといてすぐに忘れろとか勝手ばっか言ってんじゃねー!オレってばあれからずっとサスケに見られたりとか名前呼ばれたりとか…とにかくサスケがいるとヘンになっちまうし何でかしんねーけどどきどきしちまうし!アタマん中ぐちゃぐちゃでもうわけわかんねーってぐらいお前のことばっか考えたりすんのにお前一人だけ涼しいカオしやがって!」
一気に、見事な肺活量で言い切ったナルトはきっとサスケを睨みつけるような、ではなく睨みつけた。
透き通った青が濃く、深くなってその感情の激しさをよく映す。
「オレだけ気にして、考えて、お前にとっちゃ気の迷いみたいなもんだろーし、もう忘れられるかもしんねーけど、なら最初っから言うな!忘れるくらいなら、言うなってばっ…オレはヤだって思っちゃっただろ!サスケのコト気になってオカシクなるからすげー困るのに、でもサスケが言ってくれたんがナシになんのは何か、なんか嫌だっ…わ、わかんねーけどヤだって思っちまってんのにっ」
どんどん興奮していき、高ぶった感情がそのままに青い目からぽろぽろと溢れて落ちだした。
それをサスケは止めることも拭うことも出来ない。
激昂するようにぶつけてくるナルトの言葉がただ信じられなくて。都合の良い夢でも見てるのかとすら思う。
「一人で、知らん顔すんな、バカッ」
くしゃっと歪んだ泣き顔は本当に幼く、着ているスーツとアンバランスに映った。
ナルトの柔らかな丸みのある頬を伝い落ちた雫がスーツに染みを作っていくぽたぽたという音にはっとしたように、ナルトは手の甲ですぐさま涙を拭っていく。
充血した目と擦られて赤くなった目元が痛々しいが、こいつは泣き顔も可愛いなんてひどく状況にそぐわないことを頭の隅でサスケは思ってしまっていた。
精神的痛手とは真逆の嬉しいことでも過ぎれば衝撃となり、頭の回転を鈍らせたりするのだろう。
じっと見惚れている――ナルトには無表情で見ているとしか見えない――サスケにナルトは自分一人がまた頭に熱を昇らせたと、そして言ってしまったことに急激に恥ずかしさが込み上げてきて今度は頬まで赤くなる。
「と、とにかくテメーがすっげぇムカつくの!そんじゃあな!」
居た堪れない、とそこから逃げるように背を向けたナルトの手が掴まれ、引き戻された。
漸く動けるようになったサスケの大きな手が濡れたナルトの手を掴むとそのまま引き寄せ、両腕で囲んでしまい、すっぽりとサスケの胸に納められる形になったナルトは突然身体を包む暖かさに狼狽える。
「なっ、離せッ」
「嫌だ」
腕から出ていこうとばたばたと暴れるナルトを縛めるようにぎゅっと力を込め、サスケは後ろからナルトの耳朶へと低い声を通した。
「ナルト」
びくりと竦ませたナルトの白い項に触れそうなほど近くで。
「好きだ」
あの日と同じ言葉をもう一度、あの日よりもしっかりと告げられる。
青い目が見開かれ、すぐにまた歪んで透明な膜が溢れて落ちてきた。
そんな真っ直ぐな声で、こんなにもはっきりと言うなんて勝手だとナルトは思う。
取り敢えず混乱する自分の気持ちを言って少しだけでもすっきりしたかったのに、サスケはいとも簡単にナルトのそんな気持ちを壊す。
「なん、だよ…それっ。忘れろって言ったくせに、ま、また好きだって言ったり…どうでもいいくせに、そんなん言うなってば!」
滲んで途切れそうになりながら絞り出すようなナルトの声にサスケはそれが酷い事だと思いつつも胸が締め付けられるような甘やかな苦しさを味わった。
「忘れろなんてもう言わねぇ。どうでもいいなんて思ってるわけないだろ…そんな軽い気持ちじゃねぇし、でなきゃ言えるわけがないだろうが」
「じゃあなんであの時」
「お前困ったって顔してただろ」
忘れろなんて言ったんだ、と続けようとしたナルトの言葉は唐突に図星を突かれそのまま封じられる。
「それは…そうだけど」
「好きな奴に好きだと言ってそんな顔されたらな。ましてや男同士だ」
「だから忘れろって言ったってば?」
サスケの気配と首にさらりとかかってきた髪で頷いたのが分かる。
「嫌われたくなかったんだよ」
悪いか、と拗ねたように小さく続けられナルトは頬が否応なしに火照ってきた。
「で、でもずっとお前フツーにしてたじゃん!何でもねーみてーにしてたし、本当に忘れてたみたいだったし」
「それを言うならお前の方こそそうだろうが」
「サスケだけがヘーキって何かすげームカつくから隠してたの!」
意地を張った子供そのもののようにむぅっと唇を突き出して横を向くが、ふっと顔の力が抜けほんの少し俯く。
「…それにフツーにっていうか、サスケと仕事すんの楽しいし、負けたくないってのもオレにはあんの」
「俺だって同じだ」
「マジで?」
間髪入れず答えたサスケにナルトは驚いて顔を振り返らせた。
「ああ。お前とする仕事は楽しいし、負けたくねぇとも思う。お前が好きでもそれは変わらない」
すぐ近くにある黒い目と髪にどきりとしたが、それ以上にサスケの言葉が嬉しい。
サスケも同じように思っていたのが、ナルト一人で思っていたものでなかったのが嬉しくてついさっきまで泣いていた顔が見る間に晴れやかな笑顔へと変わった。
至近距離で見るのは久しぶりのナルトの全開の笑顔にサスケは身体の奥から突き上げるものを抑えつつ、ナルトを抱き締めていた腕の力をほんの少しだけ緩める。
そしてナルトの腰に手を掛け、くるりと身体を反転さすと正面からもう一度抱きなおした。
「だけど、それだけじゃ足りねぇんだよ」
ナルトよりも高い身体を屈ませて漆黒の眼が真剣な、そして熱を纏って見つめてくる。
「好きだ、ナルト」
一度は消した分を取り戻そうとするかのようにまた囁かれると息が苦しい。胸も押しつぶされそうに痛くて、激しくどくどくと震えた。
「お前は?お前はどうなんだよ、ナルト」
抱き締めたまま後ろにあった棚へとゆっくりと押し付け、ナルトの逃げ場を完全に無くして問う。
「オレ?オレはっ…その…」
肝心な言葉が出てこないナルトにサスケは微かに口の端を上げながら追求の手を止めない。
「俺に見られるとどきどきするって?名前呼ばれるのも、だったよな」
ナルトのサスケに比べて随分と細い腰に回していた片腕を外し、顔の横へと突いて耳元へと口寄せた。
「俺の事ばっかり考えてたって?」
首元を這う低い声にナルトはぞくりと走るものを背に感じながら、何も答えられずぎゅっと目を瞑る。
「俺なんかもうずっと前からお前の事ばっか考えてる」
さらりと、けれどどこか切なげに甘く告げられ更にナルトの心音は加速し、目を閉じていいるせいかそれがとても大きく聞こえるのに、サスケの声から逃れられない。
「なぁナルト…お前俺の事が好きだろ?」
するりとその言葉はナルトの胸に入り込んで、そうしてあっけないほどナルトの胸を散々疼かせていた穴に落ちて埋めてしまった。
オレが好き?
サスケを?
オレがサスケを好き?
沸騰してしまうんじゃないかと思うほど熱い頭の中でサスケの言葉がぐるぐると回る。
「そんなん、分からねーってば」
ふいっと顔を逸らして熱を散らそうとするがそれを許さない男に捕まっている。
「なら今考えろよ」
傲慢な命令を懇願するように言われナルトは埋まったばかりの穴がきゅうっと疼く。
サスケに好きと言われてからずっとサスケといるとヘンになってしまっていた。
側にいるだけで暖かいけどどきどきするし、なのにサスケはもう何とも思ってないようでそれがすごく嫌だった。
どうして嫌だったかなんて。
どうしてあんなにも、そしてこんなにもサスケにどきどきするかなんて。
「う〜〜〜」
本当は分かってる。
「そ、その…」
悔しいが答えは出されてしまったのだから。
「す…だってば」
横を向いたままか細い声でそれを言った。
「聞こえねぇ」
ぴたりとくっつくように近くに寄っているがそれでもはっきりとは届かなかった。
何を言ったかは凡そ解かるけれど、この言葉だけははっきりと聞きたくてサスケはもう一度言わせる。
唇を噛んでキッと見上げてきたナルトの空色の目はまた泣き出しそうに潤んで恥らいに赤く染められており、サスケはどきりとしながら聞いた。
「だからっ、好きだってば!」
怒鳴るように言われた欲して欲して止まなかった台詞。
それをやっと紡いでくれた唇を込み上げる嬉しさからサスケが塞ぐのに一瞬の間も無かった。



サスケが液晶画面に見慣れた名前が上がってあるのに気付いたのは午後を回って少しした時だった。
『ミズノメディアライン急騰。想定を上回り更なる成長が予想される』
株価ニュースのその項目を急いでクリックする。
『国内回線エリア拡大実施の予定よりも大幅な進行と最低年間契約終了の周期が重なった事を受けた大規模な乗り換えキャンペーンを実施した所、ついに国内シェアトップの座に就いた。更に企業だけでなく個人向けの細かくタイプ別に分かれたプランの打ち出しによるニーズに応える戦略で更なる収益が見込まれることから株価が高騰し…』
「サスケ、ミズノメディアラインの見た!?」
ばたばたと飛び込んでくる金色の嵐のような光がサスケの顔を上げさせる。
興奮し、濃くなった青をきらきらと輝かせながらサスケの机へと走ってきたナルトにサスケは頷く。
「やったってば」
パソコン画面を二人で覗き込みもう一度確認する。
『株価が高騰し前日比の3千円のストップ高で3万9千円台をキープ。業績の上がりを見ても株価が落ちる懸念は低いと思われ、更なる成長が見込まれる』
どちらともなく顔を見合わせ、笑みがこぼれた。
不敵なというのがとても良く似合う笑みを浮かべたサスケにナルトはにっこりと満開の向日葵のような笑顔を返しながら拳を握り締めて突き出しあうと、軽くぶつけあう。
照れくて言えないが一緒にやれて本当に良かったと思いながら。
同じ仕事をする、目標を持つ仲間でライバルという関係はお互い以外の相手はいない。
そして。
ニシシと笑ったナルトの手をサスケはそのまま引き寄せ、椅子に座っていた自分の上へと乗せるとパーテーションの壁に隠れてこっそりとキスを仕掛ける。
何よりも大切な恋人、という関係に成長させる相手もお互い以外にはいないと確かめるように。




















(終)


相互リンクして下さった紅葉さんに捧げさせて頂きますv
リーマンサスナルという萌えまくりな素敵なリクをして下さったのにこんなへこたれた物で申し訳ありません;
少しでも感謝を、ありがとうをお返ししたかったのですが……ご恩を仇で返しまくっててすみませんでした!(土下座)



紅葉さんに捧げさせていただいていたのですが、素敵サイト様「砂漠のオアシス」様が閉鎖なさったので出戻りで出させていただきました。
駄文の出戻りリサイクルですみません!

'05/9/24

'08/5/19