ポン、と開いたエレベーターから飛び出した色彩は、オフィスというモノトーンを基調にされた世界に酷く鮮やかだった。
スーツの黒に映える自然な濃色を持つうつくしい黄金色の髪と壁に遮られ今は見えないぬけるような空の青目をもった笑顔が印象的に見た者に残る。
バタバタと騒々しい足音がパソコンのキーボードを叩く音と、集まり音になっている会話の声が僅かに漂う中を駆ける。
「セーフッ!間に合ったってばよー!」
第七班と書かれたプレートが掛けられた部屋に飛び込んだうずまきナルトの声が『木の葉リサーチ研究所』に響いた。









Growth game









「カカシせんせー!コレ、今からなら間に合うよね!?」
ばっと意気込み差し出したレポートを受け取った人物は片方の目に眼帯、口元にはマスクを掛け大部分が隠れた顔に気の抜けた笑みを浮かべた。
「どうだかな〜。ま、時間的には大丈夫だけど大事なのは中身デショ」
飄々とした口調で言われた台詞にナルトはそうだったと小さく息を呑む。
たった今提出したのは毎月、顧客に向けて発行されている各業界別に推薦銘柄を紹介する月報の原稿で、ナルトが担当していた分なのだが、このフロアの責任者であるカカシの許可が出て初めてそれは世に出るのだ。
カカシの片方の目が字列やグラフを移動するのをじっと見つめながら待つ。
経済、特に投資社会において調査分析をするアナリストという存在はどの企業に置いても欠かせない存在であり、その経済アナリストを大きく分けるなら三つになる。
ミクロ的に各企業を調査するアナリスト、マクロ経済全体の流れを分析するエコノミスト、そしてミクロ、マクロ両面から調査・分析をし投資戦略を考えるストラテジストだ。
『木の葉リサーチ研究所』のチーム制に分かれており、大抵3〜4人一組の班で分けられており、七班は企画調査を目的としていた。
同じように企画調査をしている班は他にもあるが、それ以外にも投資運営を目的としているストラテジストも抱えている。
ナルトは一つの業界の動きを見るナルトはこの会社に入社して2年目になるアナリストで、得意分野と言える音楽業界の月報をカカシに見てもらっているが矢張り緊張が無くなることはない。
ずっと紙面に向けられていたカカシの目が上がりナルトを見た。
「ま、悪くはないけどね。ここと、この関連はなかなか良く調べてるがそれをもっと分かりやすく説明しないと。それにここの成長比率の根拠になるこのデータ集計が大雑把すぎだ。このままじゃ載せれないよ」
「そんなぁ〜〜」
きっぱりとくらった駄目出しに肩を落とさずにはいられない。
「時間も無いから悪いけどオレが校正するから、取り敢えず月報はこれで完了」
「待って、オレが直すって!」
「もっと早くに持ってきてたらそれでも良かったんだけどネ。ダーイジョーブ。ちゃんとお前が付けた目は消さないよ」
椅子から立ち上がり、くしゃりと頭を撫でたカカシにナルトは俯いていた顔を上げ、口元に笑みを刷く。
「…次はぜってー一発で上げるってば」
つられた笑顔でカカシはナルトの旋毛をもう一度かき混ぜた。
「ま、頑張んなさいね。それからナルト」
「なに?」
疑問符を浮かべながら小首を傾げ、見上げてきたナルトの露わになっていた白い首筋に指が伸び、するりと撫でた。
「急いでたのは分かるけどボタンとネクタイぐらいはきちんとしろよ〜」
『木の葉リサーチ研究所』はその中でも大手に属しており、日本の企業の中では珍しい欧米スタイルの完全実力主義を用いていた。
故に年齢や見た目などにそう問題を置かれない。
勿論、見た目も仕事に重要とされる営業部などはまた少し違うが、あまり表には出ない調査・研究を主としたアナリストではそう厳しくもないがネクタイを完全に外したままというのは流石にいただけないのだろう。
「あ、ごめんなさいってば。オレ、ネクタイ締めんの苦手でさー」
後ろ頭に手を添えて照れたように笑って謝るナルトに、カカシの目が細まる。
「出来ないなら毎朝しに行ってあげよーか?」
「もーセンセーってばいっつもそんな冗談ばっか言って。オヤジギャグだってばよ」
「ん〜?思いっきり本気だぞ〜?」
にこにこと見るものが見たらば胡散臭いと思うような笑みを全開にしたカカシがもう一度ナルトの項に伸ばされた時。
「何やってんだてめぇ」
地を這うような声がそれを遮る。
企画調査部第七班エコノミスト、うちはサスケが恐ろしく凶悪な視線をぶつけてきていた。


デスクに戻ったナルトの頭をぽん、と叩くものがあった。
「イテッ、何するんだってばよ、サスケ!」
隣のデスクを振り返れば、凶器である丸めた紙の束を丸めたサスケが不機嫌そうな顔でこちらを見ている。
「…さっき何してたんだ」
「はぁ?」
いきなり頭を叩かれてむっとしたのだが、サスケのまるで自分に正当性があるような態度と突然意味の分からないことを言われ怒りが頭からぬけてしう。
「さっき?さっきってなんだってば?」
「オレが資料室から戻ってきた時だ。カカシがてめぇのシャツを脱がそうとしてただろ」
「脱がすって…違うってばよ。オレ月報今朝まで掛かったからさ〜。ネクタイもシャツもちゃんとしてなくて、カカシ先生それ直してくれようとしたの」
そういって片手に持っていたまだ締めていない濃紺のネクタイを見せた。
「ネクタイ締めんのってニガテー」
舌をだして、顔を顰めるナルトにサスケは呆れた。
「テメー、社会人2年もやってて未だにそんな事言ってんのかよ。これだからドベは」
「ドベって何だ!ドベって!」
「入社試験ドベのドベだろ」
「ムカチーン!アッタマ来た!大体サスケだってネクタイ嫌いだって言ってただろ−!」
「俺は堅苦しくて嫌いなだけで、締めるのが苦手だとは言ってねぇ」
そう言ったサスケのネクタイは確かに、それこそお手本のように綺麗に結ばれている。
ナルトと同じく黒のスーツに青のシャツ、そして灰白のネクタイが涼しげと評される漆黒の眼と髪に彩られた端正な顔に悔しいが良く似合っていた。
「うるせーってば」
顔のイイヤツは得だと結論づけた所でいい加減ネクタイを締める事にする。
しゅるりと首に回した所で伸びて来た手がナルトの手を掴んで止めた。
「やってやる」
「え!?いいの?」
きょとんと青い瞳を一回り大きくしたナルトからネクタイを抜き取った。
「ああ。ホラ顔上げろよ」
「ん」
素直に顎を上げたナルトにサスケの頬に朱が走る。
軽く腰を折り、近くなったぷにっとした赤い唇にどうしても行ってしまう眼をなんとか離した。
ネクタイを回し、長いサスケの指が緩ませた状態のままで輪を作り端を通す。
しゅるりと擦れる音を鳴らす指触りのいい布でナルトの男にしては細い首の感触を確かめるように最後に通した部分をきゅっと下に引いた。
結び目を整えるため、喉元に器用な指を持っていき、そこからじわりと伝わる熱にどきりとする。
たった今結んだそれに指を掛けて解いてしまいたい。
そうしてボタンを外し、直にあの白い肌に触れられたら。
「出来たってば?」
動きの止まった指に降ってきたナルトのからりとした声に、サスケはただ頷くしか出来なかった。
もう離れなければいけないのかと、綺麗に結われたプレーン・ノットが酷く憎らしく思える。
だが。
「さんきゅ、サスケ」
にこっと心底嬉しそうに笑うナルトに苛立ちは一瞬で眩まされた。
次いで言葉が出てこないサスケの代わりのようにデスクの内線が鳴り、囚われた精神が身動きを取れるようになる。
受話器を取り、耳に当てるとついさっきこの世から消してやろうかと思った人物の声が聞こえた。
ネクタイを締めなおすのに触る必要もないナルトの項をベタベタと触っていた変態上司だ。
だが嫌ながらも直属の上司である以上、仕事の事で話があれば聞かないわけにはいかず、サスケは眉間に山脈を作りながら用件を聞いた。
「……了解」
少しでも短く済むように必要最低限の言葉だけで切った後、ナルトを振り向く。
それまでのささくれだった感情が柔らかな手つきで撫でられていくように落ち着いてくるのを認識しながら、そんな事はおくびにも出さサスケは口を開いた。
「急務連絡だ。カカシの所に行くぞ」



二人でカカシのデスクがあるパーテーションに行った時、カカシは電話と書類に両手も口も埋まっていた。
「チョット待ってね」
そう言ったカカシに愛想良く返事したのはナルトだけで、サスケは無言でさっさとしろととても部下らしくない態度で促すがカカシも慣れたもので軽く無視だ。
「はい…ではそれで。ええ、大丈夫ですよ…はい。……っと待たせたな」
「いいってばよ」
「それよりさっさと話せ」
まるで打ち合わせたように交互に答えた二人に軽く苦笑しながら、カカシは椅子を回転させて身体を二人の正面に向けた。
「はいはい。お前らミズノメディアラインって知ってるな」
ナルトとサスケは同時に頷いた。
国内通信サービスにおいてそれまでにない安価で安定したサービスを打ち出した事によって一躍業界のトップクラスに躍り出た企業で、ナルト達が増資の際にその主幹事を争った証券会社からリサーチを頼まれた過去があった。
その頃はまだ駆け出しだったが将来性の有望なミズノメディアラインの国内売り出し分を請け負うべくカカシを筆頭にナルト、サスケ、サクラで各会社がプレゼンテーションで競い合う合同コンペに挑み、無事主幹事の座を依頼された証券会社に渡すことができた感動をナルトは密かに思い出す。
あの時、一度致命的なミスをしかけそれを隣にいるサスケが助けてくれた事も。
「あそこの月末のレポートをウチが請け負ってるの知ってるデショ?それ、今回お前ら二人でやんなさいね」
突然言われた内容に頭が追いついてこない。
入社2年目のヒヨっ子に会社の看板の一つと言っていい仕事を任されたのだ。
「え、えええええええええ!?」
ナルトが声を上げても無理はないのだろう。
「…そのレポートはアンタが担当してたんじゃないのか?何でいきなり急に?」
「そうなんだけどね。実はルロッテエレクトロニクスの増資がハナシが急に出たって営業部から連絡があってな。その合同コンペのプレゼンをガイの班が請け負う事になったんだがそっちの応援頼まれちゃって」
国内の半導体の78%をシェアを誇るだけでなく、海外からもその質の良さから評価が高いルロッテエレクトロニクスは、つい先ごろインターネット接続業界にも乗り出し、各投資家、業界、メディアの注目もかなり高い企業だった。
「しかもそれが今月末だから流石のオレでも手が足りなくてね…出来るな?」
それまでにこにことクセがあるが柔らかい笑みを浮かべていた目はすっと鋭さを増した。
けれど信頼と期待――だからこそ厳しい眼。
ごくり、と唾を呑み込む。
まだまだ新人と言っていい二人にはかなり大きい仕事だ。
だが、これで一歩を踏み出せないのであれば上へなど、アナリストとしての成長など出来ないだろう。
「分かったってばよ…任せろ、カカシせんせー!」
「アンタよりも好評なレポを作ってやる」
拳を突き出して宣言したナルトと不敵と表現するのが相応しい笑みを浮かべたサスケが、また計ったように言葉を繋いだ。



ミズノメディアラインのレポート準備の為に通信経済情報センターに向かいながらサスケはナルトのつむじをみながら、この2年で認識させられた感情に今更ながらに溜め息をついた。
同期入社で同じ部署の同じ班に配属されたばかりの時は、なんでこいつがアナリストなんだと常々疑問と頭痛を感じたが、今ははっきりと分かる。
誰よりも先を見通す目。
データを第一としながらもそれだけでは決して見抜けない、音楽など不確定要素の多いものの本質を見抜き、アナリストとしては異色ともいえる各企業へのアポイントを重要視したフィールドワークで調査していく。
時間も体力もいる。身体がいくつあるんだと時々サスケですら驚くものがあり。
時間を掛け、仕事を残してしまうのは無能と見做されがちな中でそんな事を気にせず、ドタバタしてようが何だろうが自分のやり方を決して崩さず独自の切り込みで予測を立てる。
アナリストとしての経験を一番近くで一緒に積んできたのだ。
ナルトがどれほどの努力を持ってその秘めてた才を成長させてきたか、それを実現させたあらゆる物を吸収していく柔軟さを持ちつつ自信の方針を変えないその精神に惹かれずにはいられなかった。
それに男のクセにやたらと可愛い。
顔や見てくれといわけでなく、いやそれも十二分に可愛いのだが、仕草や行動、いくつだと疑いたくなる素直さ一つ一つが堪らなく。
何度デスクで資料に埋もれ寝てしまっているナルトにキスを、それ以上の事をしてしまいたいと思ったことか。
だが、そんなサスケの葛藤を露ほども知らないナルトは興奮し、頬を上気させた顔で振り返った。
「ネジってば凄いよな〜。ルロッテエレクトロニクスの増資なんてさ」
一年先輩であるネジとナルトの関係はそれなりに親密な方で実に面白くない。
「別にあいつ一人がやるわけじゃねぇだろ。それにプレゼンを直接するのはガイかカカシだ」
「そりゃそーだけどさ、やっぱ凄げぇ。ネジが天才だってのはオレが一番知ってるってばよ!」
ナルトがこうもネジに対してその実力を認めているのには一年前のアナリスト試験を受ける際、対策の一環として社内で開かれたテストプレゼンでネジと争った事があるからだ。
殆どの周囲の予想はネジが勝つというものだったが、土壇場でナルトが議題とされた企業の未だ見確認段階にもなかった情報を発掘して逆転勝利を収めた。
結果的には勝てたが、それまでの完璧といえる調査・分析とそれを淀みなく説明する力、そこからくる説得力を持って展開されたプレゼンに後攻となったナルトはネジの実力を実感したのだろう。
そして同じ事がネジにも言える。
否、ナルト以上だ。
既存の完全に確定されたデータと定石と言える完璧に確実な一手を用いていたネジの『経済は決まった数字の世界』という概念を壊したナルトに一目置き、かつ惹かれている事がサスケには嫌になるほど分かった。
それなのにナルトはネジに気を許し、好意を抱いている。
焦燥が身の裡に燻るのにこれ以上の理由など必要なく、苛つかずにはおれない。
「そうかよ」
憮然と応じるサスケに、ナルトが唇を尖らせた。
「むー、愛想ねぇの。可愛くないってば」
「可愛くてたまるか」
てめぇじゃあるまいし、と心の中だけで返す。
もし口にすれば真っ赤になって怒ってくるだろうし、それはそれで可愛いと思ってしまうと容易に予想が付く当たりもう救いようがない。
沸いた思考を追い出すように軽く頭を振って、話題を変える。
「兎に角さっさと資料集めて戻んぞ」
「おう!」
きらきらと瞳を輝かせたナルトは頭の中よりも可愛く、魅力的だった。



通信経済情報センターに保管されている多くのデータ資料は、全てが本という形を初めからもっているわけではない。
そういったものは情報センターで書架に入れる前に製本していてくれており読みやすくなっているのだが、背表紙などが見にくく、見つけるのに少々苦労するのはどうしても否めなく、中腰になり、多少通路を占拠する形になりながら資料を探し、取り出していく。
幾つかの資料を手に持ち、立ち上がったナルトがサスケを振り返れば同じように資料を手に持ち、立ち上がろうとしていたサスケがこちらを見ていた。
「っと、これで全部だよな、サスケ」
「ああ。後は会社ので足りるだろ」
ナルトの手にある資料と自分が持つ資料を確認し、頷く。
初めからここで見ると決めていたものと多少の興味があったもの。ナルトと自分の手の中それぞれにきちんとあった。
「んじゃさっさと席に戻んぞ、サスケ!」
にかっと笑って張り上げたナルト声は静寂に満たされていた室内に響き、サスケは渋面を作る。
「ウスラトンカチ、デカい声だしてんじゃねぇ」
「わりぃ。んでもって早く行こう…」
自覚があったのか頬を赤くし照れ笑いを浮かべたナルトの言葉尻が急に萎む。
そして。
「あーーーーー!」
先よりも大きい声を響かせ、書架管理者に後で注意を受ける原因を作りながら指を刺したナルトの示すままに振り返れば、赤毛の目つきの悪いチビが立っていた。
「我愛羅、久しぶりだってばー!」
たっと駆け寄りるナルトに我愛羅のあまりよろしくない視線を湛えていた目が少し柔らかくなる。
「ああ……先月の合同勉強会以来か」
「うん、あん時は楽しかった」
思い出し、心底嬉しそうに言うナルトに我愛羅の口角が僅かだが上がり、完全なワークホリックで睡眠満足に取っていない隈が取れなくなった険しい目が和んだ。
「ああ…俺も楽しかった」
「テマリとかカンクロウとか、他のサンドリサーチの皆も元気にしてるってば?」
珍しい我愛羅の笑顔もナルトにとってはそう珍しいものではなく、我愛羅の同僚が見たならば悲鳴の一つも上げるところだが、ナルトは上機嫌で会話を続けた。
サンドリサーチインティスチュート。
巨大なコングロマリットであるサンドグループが擁立する証券研究所だが、近年大幅な縮小対象部門になったにも関わらず、少数精鋭としてその実力の高さは業界屈指で木の葉と並ぶ大手で、我愛羅はそこの若手のトップだ。
木の葉とサンドは何度か主幹事争いなどで争った事もあるが、友好的関係を保ちつつ実力を認め合っている。そういった場合、互いの若手育成も兼ねた二つの研究所合同で勉強会を開くことは意外によくあったりする。
ナルトは我愛羅と同じアナリスト、同じ担当業界だった事もあり、仮想主幹事プレゼン会の相手だったはずのサスケよりもその後の勉強会で意見を衝突させていた。
サンドリサーチインティスチュートの前所長の息子というナルトとはまた違う色眼鏡を常に掛けられ、他人と一切協力しない、自ら手にしたデータとそこから出される予測しか信じない、見ないといった姿勢から孤立していた我愛羅が変わったのはそれからだ。
それまで積極的に参加しなかった合同勉強会だが木の葉とのものには必ず出るようになり、何かとナルトに構うようになったのも。
ネジといい我愛羅といい、他にも多くの人間を次々と人を惹きつけ、気付けば後戻り出来ないくらいのところまでどっぷりと浸からせてしまうくせにナルト本人は至って無自覚。
改めてナルトの厄介な天然っぷりを認識する。
ナルトにしてみれば男女問わず特別な感情を向けられているなどきっと、というよりも間違いなく思いもよらぬ所だろう。
得意業界の成長推移を予測するときの100分の1でもいいから察しの良さが発揮されてくれないものだろうかと何度となく思ったが、ある意味その天然さで誰からのアプローチも無邪気に躱わし続けているのだから実際そうなるのもまた困るのでサスケにしてはどちらがマシか実に判断の難しいところだ。
「それよりミズノメディアラインを担当する事になったらしいな」
「うっそ、何で知ってんだってばー!?」
大きく上がったナルトの声に思考から引き上げられるが、それと同時にナルトが大仰に驚くのも無理はない我愛羅の台詞にサスケの顔が少し強張る。
重要度でいえばそれほど大したものではないし、いずれすぐに分かる事だとはいえ情報が速すぎる。
いくら友好的な関係を保っているとはいえ、同じアナリストとしてこれからも様々な証券運営の権利争いがあるのに、こうも情報が漏れていては危険だ。
「蛇の道は蛇といったところだ。まぁ今回のは会社は関係なく、俺個人のソースだが」
どんなアナリストにもそれぞれ独自の人脈、ニュースソースがあり、それを聞く事は例え如何なる立場であろうとも許可無く相手に聞いたり、明かすように強いるのはこの世界ではルール違反になる。
我愛羅の言葉に追求は無理か、とサスケが諦めた時。
「えー、我愛羅ばっかずりぃってば」
子供のような言い分を子供のように頬を膨らませ、拗ねた表情で言ったナルトに我愛羅の顔が困ったものになる。
「狡い、か?」
「そうだってば。オレってば今我愛羅が何しに来てるかとか全然知んねーのに我愛羅は知ってるって何かフコウヘイ」
自分の考えに何度も頷くナルトに我愛羅はふむ、と小さく頷き、あっさりと情報源を明かした。
「ここへは来月にある合同証券株主説明会の準備に来ている。その連絡をテマリがした際、奈良シカマルからお前たちの事を聞いた」
「そか。もう来月だっけ。って我愛羅もレクチャーすんの?」
「ああ」
「すげーってば!頑張れよな、我愛羅」
「お前もな」
「おう!出来たら見せてやっからビックリすんなよ!」
我が事ように嬉しそうに笑い、興奮したナルトの顔をこのチビたぬきがさせたのも、見ているのも非常に気に食わない。
話の出所が解かった安心感なぞちっともなく、サスケの眉間には深い皺が刻まれたままだ。
「おい、いい加減に戻るぞ。時間を無駄にすんじゃねぇ」
ぐいっとナルトの腕を引っ張るとそのままひきずり、話を強引に中断させる。
「わっ、危ねーだろ、サスケ!」
資料を持っていた腕を引かれ、バランスを崩しかけたナルトの抗議も今は無視して行こうとしたサスケに挑戦的な声が投げつけられた。
「相変わらずの短慮だな」
元よりよろしくない感情を持っている相手からの挑発を無視出来るような見た目ほど、冷静でもクールでもないサスケの柳眉が上がる。
ナルトの腕を離さないまま振り返ったサスケは我愛羅を射貫くように睨みつけた。
「誰が短慮だ?」
ナルトを挟んでその心臓に悪いと多くが思う視線を受けた我愛羅は、だが平然とし、表情一つ変えない。
「俺と話しをする時間など嵩が知れているだろう。その僅かな時間でサンドリサーチの情報が得られる可能性がある。オレ達が木の葉から情報を得ているように。それを時間の無駄と短絡的に断じるのを短慮と言うのは間違っていない」
「今のお前から得られるモンなんてそれこそ嵩が知れている」
「どの情報が砂になるか金になるか、それを話す前から分かる者などいない」
そう言うとそれ以上の興味を失ったようにサスケから視線を外した我愛羅は、ナルトを見つめ、サスケが掴んでいるのとは反対、資料を抱えた腕にそっと手を置き、それこそ聞き捨てなら無い、サスケにとっては時間の無駄どころか悪用としか思えない事を言い出した。
「うずまきナルト、やはりウチに来い。こんな視野の狭いヤツと組まされていてはお前の能力も伸びるどころか下がる。サンドリサーチならお前の力に枷を嵌めることなく伸ばせるはずだ」
「なっ!」
瞬間的に我愛羅への怒りや不快さなどを忘れ、サスケはただ驚愕してしまう。
ナルトへの引き抜きの打診。
いくら友好関係を保っているとはいえ、むしろだからこそこんなおおっぴろげに言うなど考えられない話だった。
だがナルトは一向に驚いた様子もなく、後ろ手に頭を掻いて少し困ったような笑みを浮かべただけだった。
「あのさ、我愛羅。前にも言ったけどオレは木の葉を辞めるつもりはないってば」
つどうやら初めて誘われたわけではないようで、つい先程までの明快さがほんの少しだけ小さくなった声がそれでもきっぱりと言い切ったナルトにサスケはまずは安堵した。
だがすぐにその安堵は壊されていく。
「木の葉のやり方だけが全てじゃない。完全な移籍でなくとも、一時的な出向でもする気はないか?きっと、お前の力になると思う」
だがそう簡単には諦める気はないらしい我愛羅はじっとナルトからその眼を外さない。
そもそも簡単に諦めるなら前に断られた話を持ち出したりはしないのだろうがサスケは煮えくり返るような腹立たしさを憶えた。
「気持ちは嬉しいけどさ、オレってばまだまだここでべんきょーしたい事があるし。我愛羅もそっちでやって行きたい事があるだろ?」
「俺はまだない。だがお前がいてくれたら本当にやりたい事が、見たい物が見つかる気がする」
変わらぬ無表情さが僅かに崩れながら募らせた言葉に、一層困ったような、そして柔らかな笑みをナルトは浮かべた。
「サンキュ」
短いその答えに我愛羅はもう一度誘いの言葉を掛けようと口を開き、止める。
消えた無表情から寂しげな顔を覗かせ、目を閉じると、心情を乗せた溜め息を軽く吐くと漸くナルトの腕から手を離した。
「まだ諦めてはない」
再び目を開けた時には――サスケにとってはふてぶてしいと映る――冷静さと強かさを戻し、宣言をするようにナルトの目を真正面から見つめる。
見つめられたナルトはそれまでの困ったような笑みがどこか照れたようなはにかんだものになった。
ざわりと、腹の底から粟立つ。
「また会おう」
「おう、じゃあな、我愛羅」
交わされた別れの言葉の後、我愛羅は立ち去ったが、サスケの中の焦燥とも苛立ちとも怒りともつかぬ高熱の感情は去ることなく、むしろ一層の熱を以ってサスケの裡をじり、と焼いていた。



腹が立つ。
6人掛けの机に資料と散らばらせ、ナルトと向かい合って座ったサスケは、必要なデータと要点を個々への貸出禁止の為手元のノートへと写すために纏めていく頭の隅で先程の事がこびりついているのを自覚する。
腹が立つ。
集中出来ない自分に、あんなふざけた事を言っていた我愛羅に、その我愛羅にあんな顔を見せたナルトに。
そもそもあの引き抜き話はサスケにとっては寝耳に水だったが、ナルトは何度も誘いを受けてたのだ。
ただサスケに一言も言わなかった、言う必要が無いと思われていただけで。
自分だけが知らなかったのだろうか。
それとも。
「さっきの話、カカシには言ったのか?」
「へ?言ったって、何を?」
「さっきの我愛羅が言ってた事だ」
「言ってないってばよ。別に言う必要ねーもの」
何故サスケがそんな事を言うのか分からないと言いたげな様子はサスケだけでなく誰にも言ってないのだろう。
ならこの事を知ったのは自分だけなのだというほんの僅かな優越感と、同時に断るなら言うべきである上司にすら言ってないナルトに頭を抱えたくなる。
青い目をきょとんとさせて首を傾げる仕草はまるで子供のようで、じり、と不安を焦がされた。
「何で言わねぇんだよ。カカシを通して会社から断れば引き抜きなんてしにくくなるだろ」
カカシという上司を通し、会社から正式な断りをすれば完全にこの話を無しに出来るだろう。
いくら互いの研究員同士が友好的関係でその成長を促す事を望んでいてもそれはあくまで自社の下で、という条件付きの話なのだ。
折角育ってきた人材をみすみす奪われるような事を社は許さないだろうし、友好関係を保っているからこそ木の葉からサドリサーチに本人にその意思が無いと回答を出させればサンドリサーチはそれ以上強く出られない。
我愛羅と言う個人がどれだけ望もうとも上が許可を出さなければあんな勧誘など出来なくなるはずだ。
「だってあれって我愛羅が来いって言ってるだけで、サスケの言うよーな引き抜きとかとは違うってゆーか」
「あいつ個人が勝手に言ってるってだけなのか?」
顔を上げたナルトは考える時の癖のように斜め上に青い目を彷徨わせる。
「勝手っていうか…でも、うーん、多分」
ならある意味余計に厄介だと思う。
承認を受けた人事の引き抜きなら社を通じ止めさせられるが、あくまで個人の交際範囲の中での誘いは止められるものではない。
そして問題なのはその個人的な誘いを、ナルトが承諾したならあの我愛羅は即実現させれるという点だった。
通常では有り得ない事だが、サンドリサーチにおける我愛羅の影響力はそれほどまでに大きい上に、サンドリサーチとしてもナルトならば否は出さないだろう。特にあの我愛羅の兄姉二人なら諸手を上げて歓迎しそうだ。
短く舌打ちをするとこれ以上は考えるのも口を出すもの無駄だと判断する。
とっくにそんな事は分かっていた事ではあるけれど。
「それにしても思ってたよりも資料多くね?」
こびりついて離れず、繰り返していたサスケの思考を一つ片付けたナルトが中断させた。
ぱた、と見終わったファイルや本の上に今見終わった分を積み上げる。
「しょうがねぇだろ。ミズノメディアラインはあの時よりも格段に規模が大きくなっているし、通信の副産事業も拡大しているんだ。増えて当たり前だろ」
「そうだけどさ。サクラちゃんがいればな〜。資料整理はすげー速いし…ってそういや何でサクラちゃんはこのレポに入らなかったんだろ。いっつもこーゆーのって七班でやってきたのに」
「ウスラトンカチ。サクラは今投資運営部の方で十班のサポートに入ってるだろうが」
「あ、そか。ま、やりがいがあるっていえばあるけど」
「お前、こういう数字だけの資料整理苦手だもんな?アナリストのくせに」
らしくもなく眉間に皺をよせて苦いものでも口に含んだような顔をしているナルトにサスケは口の端を上げた。
意地の悪い質問にナルトは唇を尖らせ横を向く。
「う、うっさいってば」
「本当の事だろうが。数字嫌いの経済アナリストなんて洒落になんねーぞ」
からかいに混じりの溜め息の中に本気の心配が覗く。
何だかんだいいつつも心配してくるサスケのこういった優しさには気付くナルトは背けた顔を戻した。
「別に数字が好きくねーってんじゃなくて、こうもう全部上がったのだけを見るのって勿体ねぇって思うだけだってば。この結果が出るにはやっぱそれまでの過程があるんだからさ。もっとこうじっくり見ていきてーって」
「推移原因から予測するのは基本だ。やってるだろ」
「そうだけど、んーなんていうんだろ。それにはさもっと色んな気持ちとか、考えとかあったんだろーなって考えるのって楽しくね?けどそんなゆっくりやってらんねーし、過去データの為にアポ取るのってあんま出来ないし。だからそれが勿体ないなぁって」
まだ日が暮れていないから遊べるのに、と小さい子供が言うような顔をしながらナルトは詰まれた資料に手を伸ばす。
大好きな物への真っ直ぐに向けられる愛おしさと執着と終わったものへの小さな悲しみ。
それらを内包し、青を細めて微笑った。
目の前が真っ白になるくらいに、それすらも自覚出来ないほどに己の意識全てがナルトへ向かう。
「ナルト」
自分の喉から出ているはずの声が妙に遠くに感じた。
ん、と上げて向いた青い目。
ああ、どうしようもなく、惹かれる自分だけじゃない、誰も彼もがナルトに惹かれていく。
惹かれて手を伸ばさずにいるなんて出来ない。
あいつだけじゃない、他の奴等だけじゃない、オレが。
オレが誰よりも。
「好きだ」
静寂が支配する人気の無い資料閲覧場所にその低い声はよく通った。























(続)