それを見つけた時は信じられなくて。
どれほどはっきりと見えていようとも疑ってしまったが。
湧き上がった感情を突き詰めれば『嬉しい』の他になかった。









冬支度










残暑の暑さを懐かしく思い出す初秋もすっかり過ぎた冬の空気は寒さを証明するように熱の淀みが無い。
カーテンを引こうと硝子戸に立ったうずまきナルトはじわりと外からくる冷気とそれを反映さすような紫紺の空にぶるりと身体を震わせた。
随分と今夜は冷え込みそうで、ここにあった暖房器具の具合に少々の不安を憶えていると背後にがつんと当たってくるものがあった。
「ナールートー兄ーちゃーーーん!」
叫ぶような声とともに当たったのは感触というよりも衝撃と言った方が正しい。
前の硝子への追突をなんとか避ける為にナルトは足を踏ん張って耐えた。
「〜〜っ!コラ!危ないってばよ!」
大丈夫だとは思うがこの薄い硝子ではぶつかった衝撃で割れないとも限らない。
もしそうなればこのナルトの腰に張り付いた考え無しのお子様が砕けた硝子の破片で怪我をするかもしれず、くるりと首を回してナルトは眦を吊り上げた目を下ろして怒るも、怒られた本人は一向に堪えた様子はない。
「へへーん。ゆだんたいてきだってばよー!」
にこにこと楽しそうに笑いながらナルトの口癖を真似てぎゅうっとよりしがみついてきたその様子に、空気が抜けるように怒気が霧散してしまい、ナルトは一つ溜め息を吐くとしょうがない、と苦笑を浮かべた。
「ナルト兄ちゃーん、ゲームしよゲーム!ババ抜きでもなんでもいーからさー」
「ダーメ。もう寝る時間!」
手に持ったままだったカーテンの端を引き、ほんの僅かな断熱を果たさせるとナルトは腰に貼り付けたまま踵を返す。
「えー!?まだいーじゃん!」
ずるずると引き摺られたまま上がった不満にナルトは首だけでなく上半身も捻り、ナルトよりもずっと小さな身体を抱き上げた。
「ダメ。明日も学校あるだろ?遅くまで起きてたら遅刻するし、身体によくないってば」
「へーきだもん!」
「平気じゃねーの」
ぽんぽんと背中を優しく叩いてあやされればその掌に頬を膨らませながらもナルトの首にしがみつくとそれ以上の我が儘は出てくなくなり、そのままナルトは寝室へと運んで行く事にする。
この子が使っている部屋は5人部屋だったと思い出しながら部屋の前まで辿りつくと、ナルトが扉を引く前にがらりと勢い良く開かれた。
「あー!ナルト兄ちゃんにだっこしてもらってるー!」
「ホントだ〜。ずるいー」
「兄ちゃん、どこ行ってたの〜?」
部屋から出ようとしていた女の子が指をさして言った声量は大きく、中にいた他の子だけでなく、別の部屋の子まで出てきて、就寝態勢に入っていたのにあっという間に廊下は昼間のような騒々しさを取り戻し始める。
「皆もう寝ろって。オレも寝るし」
「じゃあおやすみのお話して」
「ばか!今日はオレ達の部屋にくるんだよ!」
ジーンズを掴んだ愛くるしい目でナルトを見上げてくる女の子の隣で腹立たしそうな否定の声が上がる。
「お前らはもう何回も泊まりに来てもらってるからいいだろ。今日はオレらの部屋」
「ちがうもん。こっちだもん」
それら全てを否定するように首に回された腕は一層の力を帯びた。
次々と上がる声と伸ばされる手にナルトは困るが、それでも全てが愛おしいと笑みが零れてしまい付きそうになかった収拾だが、一声で付く。
「コラー!お前ら!寝る時間はとっくに過ぎてるだろ!!さっさと寝ないと明日の自習時間を増やすぞ!」
鶴、ではなくここの園長である海野イルカの一声で。



テーブルに置かれたホットミルクから立ち上る湯気は甘い香りを含んでいる。
「イルカ先生、ありがとうってば」
受け取り、嬉しそうに少し熱めに温められたミルクに口を付けた。
どれだけ暖かくしようとしても端々からじわりと冷たさが忍び寄ってきて寒さを憶えてしまう。それでも有り難いし、この大好きな人がナルトの好物を忘れずに出してくれる事自体がとても嬉しい。
同時にすぐにこの好みを憶えて出してくれていた不機嫌そうな顔が浮かび、ナルトは小さく苦笑した。
「どういたしまして。しかし悪いな、いつも来てくれた時は働かせちまって」
自分にはカフェオレを入れたカップを持ちながらナルトの向かいに座るとすまん、と頭を下げたイルカに慌ててナルトは立ち上がる。
「そんなん全然いーってば!てかさ、オレの方こそいっつも急に来てお邪魔してごめんなさい」
「馬鹿を言うんじゃない。お前が来るのに邪魔なわけないだろう。お前も大事な俺の生徒で子供だ。帰ってくるのは当たり前だろ?」
一文字の傷のある顔が少し怒ったようになった後、とても優しい顔一杯の笑みが広がり、ナルトはそれだけでじわりと温かなものに浸るような気持ちになる。
父子家庭だったナルトの父親が死んで、疎遠になっていた親戚と連絡が取れるまでの間や、中学を卒業して居づらかった親戚の家を出た後、バイトをしながら夜間高校に通っていた時、ナルトはこの孤児院で時々世話になっていた。
ここで園長のイルカと知り合ったからこそ今の自分があり、ここが自分を育ててくれた場所だと思っている。もしナルトが実家というものを選ぶ事があるとすれば間違いなくここだと答えるだろう。
「そういえば決めたのか?」
照れたようにはにかんだナルトを椅子に座るように促したイルカはずっと聞こうと思っていた事を口にする。
「へ?何が?」
ぽかん、と間の抜けた顔になったナルトに小さく笑みを洩らしながらイルカ「何が」に答えた。
「何って、お前の夢というか就職先というか……決めたんじゃないのか?」
ナルトは一定の場所に留まらず、気が向いた場所へ行き、気が向いた時間だけ居て、また別の場所を見たいと思えば他府県だろうがどこだろうが好きに行くという旅の合間に仕事と一時的な家があるといった状態の暮らしをしている。
最低限の、上を望まなければそれでも結構食えるものだが、まさに根無し草の名にふさわしい生活をしている理由は勿論楽しいからというのもあるけれど、それ以上に大きな割合いを占める事があった。
ある事を見極めたいというか、自分の本当にやりたい事がなんなのか、進みたい道はどれかを決める、というものだ。
大きな選択肢は3つあり、高校を出た時からそれは変わって居ない。
ナルトの夢は一言で言うならば父と同じ道を歩む事。
ハーフであり、ナルトの容姿と考えに多大な面影を残した父はアメリカと日本の医師免許を持ち、各地の病院で契約臨床医師として勤務しつつ、同時にNPO団体にも所属し災害時や主に東南アジアへの医療向上を目的とした派遣医師としても積極的に参加をしていた。
ナルトも高校を卒業し医師への道を、と考えた事はあったが医学部に入るだけの頭と何より経済的な問題が浮き上がった。
医師になる為の受験費用だけでなく、医学部の学費というものは一般的な大学の学部に比べてかなりの高額が必要とされる上に、医学部は入ってからの勉強の為の医学書など規定明記されている以上の出費がある。
勿論、トップの成績を納められるならば特待生という手もあったが残念ながらナルトの成績では難しいものがあったし、在学中の学費を借りれる自治医科大や産業医科大学への入試も考えはしたがその後の返済かもしくは学費免除の為に卒業後9年は指定された病院への勤務、というものに躊躇いが出てしまった。
指定されるのは自治医科大が医療が充実していない地域の医療確保などを目的としているからへき地となる。それ自体はむしろナルトが望む形に近いが父と同じように災害や紛争援助活動にも参加したいという希望がどうしても躊躇ってしまう。
ならば返済を選べばいいのだろうがもし海外へ行った場合や諸々を考えるとそれもきっちり確保できるか不安定ではある、という理由から選べずにいた。
けれどナルトが医師になれるとしたらこの方法が最も可能性があるものだ。
それでもナルトが生まれて間もない頃はアメリカで勤務医をしていたが学校に入るまでは父に連れられて色んな国を回っており、その時の父の姿は今でも決して忘れられない。
何よりも尊敬しているものでナルトは幼い頃からいずれ父と同じ事をすると決めていたし、幼いナルトは密かに父のお手伝いを頼まれることがあり、子供心にそれがとても嬉しく、遣り甲斐を感じていて、それだけならば何も医師でなくとも出来る。
勿論知識があった方がより助けられる可能性もあるが、それと同等に、ある意味ではより患者さんや被災者と接する事の出来る看護士、もしくは救急救命士という形もあった。
どちらも国家資格ではあるが医師に比べれば経済的問題もかなり改善され、通常勤務を兼ねつつ派遣医療チームとして動ける可能性も高いだろう。
幸い幼い頃の生活環境と父の教育方針のお陰でナルトは会話のみならば日本語の他に英語とドイツ語、簡単なカンボジア語ならば出来、言語の問題は多少なりとも気にせずにおれるのもそういった活動で選ばれるにも有利だ。
けれども医師としての需要と看護士や救急救命士、どちらがより求められ、望まれるのかは分からない。
そういった迷いからナルトは高校を出た時、選択を出しつつも決められなかった。
自治医科大や産業医科大学へ進み医師となり指定された病院への勤務か、看護士養成所に通い国家試験をパスして看護士になり一般病院に勤めつつ父と同じく派遣医療チームへの参加をするか、専門の学校へ通い国家試験に受かり救急救命士になった後消防署に属さずNPO団体などに入り主に海外への災害派遣チームに入るか。
医師への道を考えていたのであれば残り二つの不安定な就職よりも自治医科大などへ進むのが一番いいとは思うのだが、どうしても何かが否という。
それが何か見極めるため、そして本当にやりたい事は何かを、父と幼い日に過ごしたように色んな場所を見て考えたいとこの生活を始める時にイルカには事情を話し、今の生活になってから3年以上過ぎてそろそろ決めなければとは思っているけれど、時々訪ねるイルカからこんな風に聞かれたのは初めてで、ナルトは数度の瞬きの後、口を開いた。
「えーっと、まだだってばよ。何で?」
気まずそうに頬を掻くナルトにイルカは結論を急かす事も、未だ決まらぬ事を不安がる様子もなく、ただ言いあぐねるように後ろ手を頭にやる。
「何でって言われても上手くは言えんが、何となく今までとは違う顔をしてる気がしたんだがなぁ」
「違うって、よく分かんねーってば」
イルカの言う違う顔とやらをしている自覚はさっぱりない。
だが自分が気付いていないだけでイルカにそんな風に思われ、下手をすれば心配を掛ける事になるかもしれないなら気を付けなければと、むうっと頬を膨らませた顔の下でナルトは小さく堅く決意をするが。
「ま、気にするな。じっくり考えてお前の一番の気持ちを貫けばいい。どんな道を選ぼうともお前なら出来るだるって俺は信じてるからな」
そんなものをほぐしてしまうくらい、イルカの浮かべた笑みは変わらず優しかった。
「う、ん…」
それがくすぐったくて、ぽっと灯ったものが温くて、嬉しい。けれど同時にざわざわと少し座りの悪い心地になる。
本当は。
本当はほんの、それこそ本当に本当にほんの少しだけど出来たらいいと、出来るならそれに決めたいと思うとこがある。
それは酷く一方的で勝手な考えだけれど今のナルトの気持ちを大きく揺らす。
一度考えてしまってからずっと忘れられないでいるのだ、この考えは。
そしてあの約束も。
ふ、と何かが引っかかるような感覚を憶えるが、それが何かは分からない。
何か、とても大切な何かを思い出した気がしたのだがそれが何だったのか、今さっき浮かんだはずの言葉さえもう思考の指からするりと抜けて落ちていってしまった。
「ナルト?」
急に黙ってしまったナルトに訝しげに声を上がったイルカの声に、不意に沈んだ思考から引き戻されたナルトは取り敢えず感謝の想いだけをこの愛すべき恩師に伝えることにする。
「えっと…ありがと、イルカせんせー」
今更ながらに貰った言葉が気恥ずかしくなり、ほんのりと赤くした顔で。



夏に比べて短い冬の休みとは言え大学ではその前からある試験休みも入れれば結構な期間がある。
ので多少は時間の余裕があるのだが、日本の6年制の大学でも他の学部と違い入る前も大変だが入ってからの勉強の方がより大変なのが医学部だ。
本来欧米の大学などではそれが一般的だが、受験だけが難しくそれさえ終わればあとは比較的楽というのが多い日本では珍しい学部に在籍し、来年からは4回生になるうちはサスケは先日行われた臨床実験のレポートをキャンパス内の図書館で書き上げ、提出した足で入っているバイト先へと向かおうとして今日は休みを取っていたのだったと思い出した。
思ったより早く仕上げられ、こんな事ならわざわざ休みを取る必要は無かったと家に向かいながら舌を打つ。
あの家に帰るのならレポート明けで疲れている身体でも仕事をしている方がまだいい。
広い部屋の酷く寒々しい様子が頭と胸に浮かんでサスケは溜め息を吐いた。
サスケが暮らしているアパートは一人でも十分な広さがあるが別に一人で住むのに考えるというほど大きいわけでもない。
けれどサスケはもうずっとあの部屋が広くて、その空いた空間がとても寒々としたものにしか思えないでいる。
それはめっきり足元から這い上がるような冬の吐息が囁かれるようになった最近ではなく、春の穏やかさで包むぬくもりの中でも、真夏の君臨するような暑い日でもだ。
一度腕に閉じ込めた、あの部屋に居たはずの熱を失ってからサスケにとってあの家は熱の残像だけを見せる酷く冷たい場所になった。
自転車で通っている大学からは時間を掛けずに帰ってこれてしまい、サスケはエレベーターを待ちながらまた溜め息を吐き出す。
すぐに降りてきたエレベーターに乗り、自分の部屋がある階で吐き出されて尚の事サスケの気分は冷え固まっていく。
それでもこの家を出て行けないのはあの蜜色と青を持った熱の残像と、最後に渡された勝手な言葉に縋っているからだ。
鍵を取り出し、ドアを開けて入ればすぐに目に付くリビングや今使っている部屋と、元物置だった部屋。
元物置を人が住める部屋にさせた張本人が居なくなっても、その部屋は物置には戻らずにある。
帰って来た時の定番の挨拶など発する気にもなれず無言のままサスケはコートを着たままストーブのスイッチを入れ、ソファに倒れるように寝転がる。
こんな風にしていたのはあいつの方で自分はよくそれを注意していたはずなのに今は自分がしていると苦笑めいたものが出そうになり、それは失敗した。
見えはしないが情けない顔になっているだろう。
ぐしゃっと歪められた顔を隠すように組んだ拳を乗せ、サスケは黒眼を閉じた。
すぐに浮かび上がるのはあの横顔だ。
本当に唐突に――けれどどこかで分かっていた事で――出ていくと言われどうしてだと言ったサスケに見せた顔が浮かんで、消そうとしても出来なくて何度も思い返す。
『天気いいし、空がスゲー綺麗だから』
理由を聞いたサスケにそんな巫山戯た言葉を返して見せた窓の外を見る横顔こそがあまりに綺麗だった。
天気がいいし、もっと他の場所も見たくなったと言ったその言葉が含む意味を分からないわけでは無い。
元よりこの部屋で住むと正式に決まったその日に3ヶ月くらいで出ていくと言っていたし、その為、バイトも言った次の日から辞めれるよう最初に話を付けていた事も知っていた。
あいつが、うずまきナルトがどうして特定の場所でしっかりと住みつかないのか、どうしてあんなその日暮らしのような生活をしているかも知っているし良く憶えている。
全て自分の好きでやってる事で夢の為だと笑いながら話した時、その迷っているどれを選んでもいずれは同じ道を選べたらと思った。
地方医になるなら同じ病院へ、看護士になるなら同じ医療チームでどこだって行ってやる。救急救命士の場合だってそうだ。派遣される場所の地域に行く。
サスケが特待生で医学部に在籍していると知ったナルトが凄いと嬉しそうに言った後、今のバイトを止めてももしかしたらまた同じ職場になるかもしれないなんて口にしたからそう決めてしまった。
きっと特に何も考えずに言ったのだろうが、サスケはその時から決めたのにそれを言う前に居なくなってしまい、馬鹿だと思うのにそれを諦めきれない。
最後に玄関で照れたような顔で早口で『もしさ、もしまたここ来た時にさ、サスケがここ引っ越してなかったらまた泊めてくれよな』と言ってこちらの返事も聞かずに飛び出して行った背中と、引き止める言葉も勝手な望みも飲み込ませてしまった空よりもずっと綺麗な横顔とこの部屋の至る所に残る記憶という厄介な代物を何度も脳裏に浮かばせては縋っている。
「寒いな…クソ」
苛立ちと悔しさと、それでも尚忘れられないものを混ぜた声で言った文句が静寂の中に響いた。
実際の室内の広さよりも大きい部屋向けである暖房器具が吐き出す温風は熱いくらいだ。
だが指の先が冷たい。
腕が重い。
胸の奥が石にでもなったように息苦しい。
押し潰してくるようなそれに沈まされるようにサスケは閉じていた目の奥の眠りにつき、また一時の熱を思い出すために夢へと逃げるが、目を覚ませば思い知らされるのだろう。



寒さが離れない。
煙を操るように息を浮かび上がらせてみた白さと喉を通ってくる冷気の鋭さにナルトはコートの前をしっかりと合わせたがそれでも二の腕や背中、足や指の先が芯から温もる事はなく、これは少し早めに帰ったほうがいいかもしれないと思う。
手入れをしているのかしていないのか、ざんばらだがそれでも柔らかな芝生が生えている河川敷でキャッチボールに少しの変則ルールを加えた野球もどきで遊ぶ子供達に目を戻した。
打ちに行くと見せかけて、するりとバットを下に流しセーフティバントを成功させた打者が一塁にスライディングを決めた所で、ナルトは声をあげる。
「ナイッバッチー!!」
小さい身体を精一杯伸ばしてセーフをもぎ取った打者が立ち上がってナルトに手を振る。その技のコツを教えたナルトは上手く出来たことが自分のように誇らしく、同時にやはり自分も参加したいと足を疼かせた。
年齢が似通った子達だけでやっているゲームで、ナルトがどちらのチームに入っても不公平になるので仕方なしにこうしてただ見守る引率役をしているがいつもなら完全に混じっている。
身体を動かせば少しは温もるのに、と軽く屈伸をして足を動かすが殆ど効果は無い。
カンッと木製のバットが軟式のボールを返す音がしてホームラン級のヒットを目の当たりにする。
ボールは土で汚れているはずなのにそれでも白く、高く、青と朱の交差する中に弧を描いた。
走者一掃となったそれは試合の決定をするには十分で、ナルトは攻守交替をしようとしている中に入って行く。
ゲームセットだと告げると不満の声は当然のように上がるが、それを聞いてやって風邪をひかすわけにもいかない。
特に運動して汗を掻いているし、帰って風呂に入らせなくては本当に体調を崩してしまう。
「また明日な?」
少しすまなそうな色あいを含んだ笑顔で言われればそれ以上の我が儘を誰も言えず、と荷物の片付けを始めた。
といってもグローブとボールとバットのだけで持ってきた時と同じくナルトが全てをいれた鞄を肩に掛け、忘れ物がないか点検すると家までの道のりを全員、総勢21名で歩きだす。
「なー、こんどはナルトにいちゃんもいっしょにしよーぜ」
くいっと袖を引っ張って見上げてきたのはさっきセーフティバントを決めた子で、ナルトは嬉しそうに頷いた。
「おう!でもオレってばすげー強いから負けても泣くなってばよ?」
ナルトがコツを教えてあげた切欠が前回の試合でチャンスにバントを失敗して悔し涙を浮かべていたのを見たからで、その事を仄めかしてナルトは自分の方が子供のような笑顔を浮かべる。
「負けねーもん!」
顔を真っ赤にして強く言い返すその様子に、ナルトは自分よりも遥かに小さい頭をくしゃりと撫でると、手を取り繋いだ。
「にいちゃんの手あったかーい」
「へ?そうだってば?」
「うん」
繋がれた手に満面の笑顔を浮かべて言われた言葉に首を傾げたナルトに、小さな頭がしっかりと縦に振られる。
どうしてだろう。
今も寒いと思うのだけれど。
重ねた手の温度はそう違いはないように思うけれど、やはりこの子の手の方が温かいくらいで、ずっとナルトは寒さが拭えない。
疑問が溶けないままでいたナルトに、きゅっとより強く握られた手が少しの懐古と寒いと思う理由を教えてくれた。
同じように少し強引に、街中だろうとどこだろうと繋いでくれた手を思い出して。
(あ、そっか…去年はずっとサスケがいたから……)
なくなる事を忘れるほど自然に隣にあった熱を思い出し、ナルトはきゅっとお腹の下の方が疼くような、締めつけられるような、言い難い感情が湧き上がってくる。
たった一年。
それまではずっと隣に誰かが居るなんて無い方が当たり前でだったのに。
不意に気付いてしまったそれは、どうしようもない気恥ずかしさと情けなさと、それ以上の苦しい小さな熱の点を灯し、ナルトは顔が耳まで赤く染まっているのを手を繋いだ小さな目撃者に知られた。



カタッと僅かな風に揺らさた小石はころころと積み重なった高さからあっという間に落ちていく。
小石、元は家の壁だったそれが、同じ壁だった残骸を嘆くようになぞって落ちた石は小さい足にこつんと当たり、止まった。
それは幼い子供心にもとても悲しいものだと分かる。
否、子供故により強く分かったのかもしれない。
大きな大きな揺れが地面をぐらぐらさせ、いっぱい並んでいた家もお店もみんな倒してしまい、石へとなってしまったのはもう何日も前。
それまで父さんと母さんと兄さん、皆で綺麗な海へと行くのを楽しみにしていたサスケはただ突然変わってしまったこの世界に不満と悲しさと怖さだけを覚えていた。
東南アジアの自然が残るこの島に家族で観光に来ていたサスケの父と母は医師であることから急遽、災害の負傷者の治療へと駆けつけ、圧倒的な人手不足からわずか11歳の兄ですらその手伝いをしている。
だがまだたった5つのサスケは邪魔にならぬよう父親達がいる緊急避難テントから遠くへと行かずじっと大人しくしている事が唯一出来ることだった。
この島だけでなく島を有する国全体に大きな被害をもたらした地震が起きてすぐ各国からの支援が決まったがそれが形として現れるにはまだ時間が掛かり、サスケの父達が帰国するにもまだまだ時間が掛かってしまうのだろう。
幼いサスケがそこまでしっかりと理解はしていなかったが、ただ何となく父達の様子からそれが分かっていた。
あれほど楽しみにしていた本当に久しぶりの休日も、楽しかったはずの旅行も何もかもが壊れて、家にいる時と同じ一人ぼっちの時間になってしまったのだということも、それが本当は嫌だと決して口に出来ないということも。
職業柄いつも殆ど家にいない両親と仲が悪いわけではないが良くもない兄、それをこんな遠い所でも見せ付けられた気がしてサスケは不満が募った。
それは街全体が焦燥と恐慌に包まれていた中での精一杯の虚勢もあったのだろうが、そんな自分の心をしっかりと認識など出来るはずもなく、ただ不満に思い、そう思ってしまう自分が嫌で、そうなってしまったあの大きな揺れで壊れてしまった街が嫌で、壊してしまった揺れが怖くて、最後は悲しくなる。
それをこらえるようにサスケは石の山積みになった元土産屋を睨んでいた。
ぽつん、と瓦礫を見て微動だにしないサスケを一瞬不審がる者はいても気に掛けて構うほど余裕のある人間は今この地にはおらず、サスケは一人、ずっと石と埃にまみれた街を睨み続けていたのだが、ぱっと突然視界が明るくなる。
目のまん前に飛び込んできた金色と青にサスケは黒い両目をぱっと見開いた。
驚きから半歩後ろにさがり、急に現れた色から距離をとってようやく落ち着いてみればサスケと同じか少し小さい子供だった。
きらきらと光る、お日様のような髪と今日のお空のような綺麗な青色の目。
(がいじんだ…)
自分や、両親や同じ幼稚園などサスケの住んでいるところでは滅多に見る事のないこの色と髪は『がいじん』特有のものだとサスケは思っていた。
今いる所の日本ではない、所謂『外国』で、当然ここの現地の人達も『外人』になるのだが、金髪と青い目というのが幼い子供の『がいじん』の代名詞のようなものだからなのだろう。
目の前にいきなり現れた子は大きな丸い蒼目をサスケにまっすぐサスケに向けてきて、その綺麗な目とふわふわと跳ねる髪、ふっくらとした白い頬がゆっくりと綻び、笑顔になるのにサスケは魅入ってしまった。
にこぉっと笑い細まった目とひげの様な痣が猫の思い出させ、サスケは逃げられてしまわないよう、咄嗟にその子の手を掴む。
「あ、えっと…」
突然手を掴まれきょとんと不思議そうに首を傾げて僅かな差を見上げてくる青い目にサスケは何かを言おうとして、だが言葉が出てこなかった。
ここに着いてからずっと、当然ながら現地の子と言葉が通じない。
泊まっていたホテルや一部の店の人には片言で言葉が通じる事もあったけれど見るからにこの目の前の子がサスケの言葉が分かるとは思えず、どうすれば良いか分からず焦りだしたサスケに高い声が明瞭に響いた。
「あのさ、いまひとり?」
意味が分かる。
サスケと同じ日本語で、聞いてきたその子は話したのだ。
驚きながらもこくんと頷くとその子は笑顔を曇らせてサスケを覗き込んで問いを重ねる。
「とーちゃんとかかーちゃんとはぐれたってば?」
「ちがう。父さんも母さんもいしゃだからあっちにいる」
「じゃおれとおなじ!」
ぱっと一度は心配から消えた笑顔が戻り、きゅっとサスケが奪った手が握り返され、その笑顔と握られた手から移ってくるその子の熱がサスケの胸の中にまで入ってきて、ふわふわと嬉しい気持ちになった。
「あ、だったらこっちきてってば!」
何かを思いついたらしいその子の手の引くままにサスケは足を踏み出し、ついて行くことにする。
いくつも並んでいるテントの中の一つに迷わず辿り着いたその子の手に引っ張られて、サスケは中に入るとツンと鼻の奥を刺す匂いに顔を顰めた。
ざわざわととても慌しい中で、鉄のような匂いとすぅっと鼻を抜けるような薬の匂いと人のが混じった匂いとそれ以上にあるたくさんの声が飛び交っていて、布と透明のシートで区切られた中に台のようなベッドが置かれ、そこに泣いている子供や苦しげな声をあげている人が寝かされている。
区切りを移動していっている人の中にサスケの父の姿が見え、目で追いそうになった時、更に手を引かれたサスケは明るい金髪が隣ではなく斜め上に見た。
何か言いながら、動かす手の素早さと治療の速さに驚く。
具体的にどうしているのかなどは分からなくても、患者が次々と入れ替わり、運ばれていく速さで分かる。
何人も何人も見て、とても忙しそうなのにそれでいて時折笑顔も浮かべて、サスケはただただ凄いと思った。
そしてすぐ隣の区切りに同じように何人もの人を見ている父の姿があり、中には泣いていたり、怖いほどの声をあげていたのに優しい顔になったりする人もいて、それはとてもとても凄いもので、もしこの気持ちの名前を分かっていたのならば誇らしいとサスケは言っただろう。
「あとでとーちゃんのおてつだいするのてつだってってば」
頬を上気させて父を見ていたサスケの手をまたきゅっと握り締めてきた力に、視線を隣に戻すと、青い目は先ほどのサスケと同じように真っ直ぐ金髪の医者へと向けられていた。
「おまえの父さんもいしゃなのか?」
「うん。だからとーちゃんときたの」
さっきおなじと言っていた意味が分かり、聞けば隣で頭が縦に大きく振られた。
「オレ、おてつだいするのだいすき!おっきくなったらもっとおつだいするの」
「いしゃになるのか?」
だったらおれとおなじだ、と言おうとしたサスケの言葉の前に金色の髪が今度は横に揺れる。
「んーん。おてつだいがいいの。だっておてつだいのほーがかんじゃさんにいっぱいいーこいーこできるし、おはなしできるし」
「いーこ?」
「うん」
なんだろうと首を傾げたサスケの頭に小さな腕が一生懸命伸ばされ、髪を撫でられた。
「いーこ、いーこ」
2回、柔らかな手が行き来したあと、にっこりと笑う。
「な?いいってばよ」
伸ばされ、触れていった優しい手と笑顔は目の前の子が言うようにいいと思うけれど、どきどきと胸が高鳴って、どうしてか素直にそれを認めれなかった。
「で、でもいしゃがいないとてつだいだけはできないだろ」
「とーちゃんがいるもん」
自信たっぷりに言われ、サスケは少し面白くなくなる。
何故かはよくわからないけれど、どうせならサスケをのお手伝いをしてくれたらいいのに、と思って。
「いないときはどーするんだよ?」
「そ、そのときはほかのひとのおてつだいもできるもん」
「だったら、おれがいしゃになったらおまえてつだえよ」
いきなり言い出されたことに吃驚してきょとんと丸い目がいっそう丸くなった。
「え?なるの?おいしゃさん」
「うん。ぜったいなる」
よく分からず聞き返してきた言葉にしっかりと、とても強く頷いたサスケをじっと驚いて見つめていた青い目がとろりと柔らかくなり、手伝って欲しいと言われてくすぐったく嬉しい気持ちに満たされて嬉しそうに頬を赤らめた笑顔になる。
「だったらいーってばよ!」
きらきらと光るその笑顔に心臓がまたどくどくと早足を始めたのだが、それを必死に隠してサスケは小指を出した。
「やくそくだからな」
「うん、やくそく!」
するり、と小さな白い指が絡まっていくのを、サスケは瞬きひとつせず見ていたのだ。
この笑顔をずっと忘れないようにと。
どうして忘れていたのだろう。
意識が浮かび、明瞭な覚醒が近いことを脳と身体が理解しつつある中、サスケの心は可笑しさと悔しさとそれ以上の募る想いに泣きそうになる。
押し上げられた瞼の下から現れた切れ長の黒い双眸が映し出したのは幼い子供ではなく、薄暗い部屋の天井だ。
「ウスラトンカチ…」
さっさと約束を果たせ、と口が動いたが、声にはならなかった。



起き上がった時の気分はとてもすっきりとしていた。
こんなに気分のいい目覚めは久しぶり、否、もう初めてに近いのではないだろうかと思うぐらい意識と気分が晴れ渡っている。
見ていた夢のせいだと直感的に思うが、その夢の内容は思い出せない。
だけれどきっとそれだと思う。
そして昔の、小さい頃のものだという事もナルトは分かった。
何故なら唐突に、けれどずっとそこにあったように心の真ん中に現れた答えがあるからだ。
ずっとずっと、3年も悩んでいた事の答えが。
心臓がどきどきと鳴っているのが分かる。
分かってしまった。決まってしまった。答えが見えてしまった。
抑えようとしてもとてお納まりつかないほどの興奮がじわりと広がり、指の先まで満たす。
5つ並んだ布団の一番端で寝ていたナルトはそっと起こさないようナルトの手を掴んだままの子の小さな指を外すと、部屋を出た。
この園でナルトが最初に種を植えた花壇へと来ると、一つ深い深呼吸をする。
まだ陽が登って間もないのだろう。
濃い朝靄が肺の中に入り、冷たく湿らせた。
ぞくりと身体が冷えるが、もう嫌ではない。
ずっと寒さが取れない理由も、迷っていた気持ちももう分かってしまっている。
朝ごはんを食べたらイルカ先生の所へ行こうと、ナルトは今日の予定を頭の中に組み立てだす。
後は動くだけだ。
この胸の冬の支度をする為に。



エレベーターを待つサスケの顔は酷く不機嫌なものだった。
肉体労働ともいえるバイトの疲労からではない。
今日一日、これほどまでにあの店長に殺意を覚えた日はなかった。
ナルトと昔からの馴染みらしいカカシにナルトの居場所に心当たりがないかと聞いたが、だらりだらりと答えをはぐらかされるだけで結局は何も分からず一日が過ぎてしまい、その苛立ちがサスケの顔を普段よりいっそう凶悪なものにしている。 話さなければならないことが、今すぐ話したいことがあるのに。
それは半分が真実で、半分が建前だった。
会いたい。
これが何よりの本音で、あの夢を話したところでそれがナルトを迷わせるかもしれないと分かっていながらサスケは会いたかった。
どうしても、今すぐに会わなければいけないような気がするのに、と重たげな稼動音とともに降りてきたエレベーターに乗りながらサスケは溜め息をつく。
僅かなものであるはずなのに上昇するエレベーター内にかかる重力にすら膝を折りそうな気分のまま、サスケは部屋のある階へと降りた。
数歩歩きながらコートのポケットに入った鍵を探り、その手が止まる。
それを、夜目にもはっきりと浮かんで見える金色を見つけた時は信じられず、どれほどはっきりと見えていようとも疑ってしまった。
予想もしない、味わった事がないほどの驚きが疑念を抱かせてしまうには十分すぎるのだが、一歩一歩近づいて行けばそれが間違いでないという視覚の証明が得られていく。
「なに、やってんだ」
驚愕やそれより言いたい事があったはずだと思うが形にならない混乱が強く渦巻くが、湧き上がった感情を突き詰めれば『嬉しい』の他になく、漸く絞り出した声が上擦る。
人の家のドアの前で座り込んでいた男の赤い顔が見上げてきた。
「なんかさ、サスケの顔が浮かぶんだってば。時々めし食ってたり、ぼーっとしたりしてたら出てきたりすんの。あんましつこいから…ホンモノ見てやろうかなって」
青い目が照れたように泳いでいる。
初めてここに泊まった時と同じように。
そうして。
「一宿一飯の恩ってやつを受けてやるってば」
くしゃりと笑ったのをサスケは思いっきり抱き寄せた。
やっと戻って来たぬくもりに腕を伸ばし、抱き込んで初めて暖かいと思う。
どれほど暖かくしても、この冷えてしまっている身体の方が暖かく、無くては寒くて仕方がない。
それはもうずっと変わらないのだろう。
初めてあの手を握った時から。
「ウスラトンカチ…一生受けやがれ」
言葉の代わりに返された答えは抱きしめ返す腕と、少しかさついた唇だった。





















(終)


散々長くなったくせにこんなんで本当にすみません;;;
落語に喧嘩の絶えない夫婦のおかみさんにいっつも仲裁をする役目の男が「そんなに仲が悪いのならどうしてひっつくんだ」と聞かれ「だって寒いんだもの」と答えるのがあるのですが(激しくうろ覚えですみません;)これ大好きで、大好きでvvv
だって寒いから。名言だと思います!素直じゃないものいいって堪らないと思います。
そんな感じとお互いがいないとどれだけ暖かくしても寒いと感じてしまうというのとか萌えーと妄想したのですが、纏まりもなんもなくてすみません…!(土下座)
この後二人の将来はサスケはこのまま医学部卒業後医師になり、ナルトは高校卒業資格者が入る看護学校に行き、ともに地元の病院に数年勤務後、国際協力をメインとしたNPO団体(出てきませんが綱手経由で。ナルトの父も所属していた団体)に入ってボランティア活動をしながらのナルトは看護士、サスケは派遣医師として一緒に巡る事になるのですが、すすすみませんいつもながら入れられなくて><。
もう医者になる云々やNPOの仕事や就労やらの条件など色々とあり、嘘というか、おかしな部分があるとおもいますがスルーしてやってください;本当にすみません〜〜;;
因みにナルトは結局サスケに言われるまで小さい頃の事を思い出せません(笑)言われてやっと夢を見た事も思い出します。鳥頭ナルトさん大好き!(殴)
こんな駄文ですが読んで下さってありがとうございました!


'05/12/31