カラン、と銅製の鐘が押し開かれた扉とともに揺れて重たげに音色を震わせる。
入ってきた明るい蜜色に目を細めたが、目を細められた本人は冴える空色の目を大きく広げた。









a way out









時間がない。
うちはサスケはそう思わずには、否、実感せずには居れなかった。
「ナルト、まだか!?」
「ワリぃ!今行くっ!」
玄関から声を上げれば、焦りを含んだ声が即座に返されるが、何より望んでいる声の持ち主、うずまきナルトの姿は未だ来ず。
サスケは何度めかの時計の確認をした。
7時30を少し回った処で、そう問題ない時間だとも言えないが、だからと言ってこれ以上の余裕があるわけでもない。
この後、駅に向かい電車に乗らなければいけない二人は、うっかりいつも予定している電車を乗り過ごそうものならば遅刻するかしないかギリギリの時間になるのだ。
乗りなれたバイクのエンジン音はアイドリングをし続けてそろそろ近所迷惑になるかもしれないぐらいには待っている。
朝ナルトの家まで迎えに来ているサスケは、いつも約束してある時間よりも早く来ているのに、ここ最近すっかり冷え込むようになってからナルトが出てくるのが遅くなっていた。
理由は聞かずとも分かる。
誰だって暖かく心地良い布団から身を刺すような寒い外へは出たくないというものだが、いつもその寒い外――と言ってもいつも玄関、ないしは居間――で待っているサスケの方はそれを容認するつもりはないし、第一それで困るのは遅刻するナルト自身でもある。
そもそもナルトはサスケよりも余程寝起きが良い。
知り合う切欠になった夏休み中のバイク旅行で過ごした宿屋の朝では低血圧から来る寝穢さを見せていたサスケと違い、高い体温と健康的な血圧を持っているのだろうナルトの目覚めはそれは素晴らしいものだった。
この寒い季節、ナルトを迎えに行く為にナルトよりも早い時間に起きなければならないサスケの方がずっと辛い朝といえる筈で、サスケがナルトを待たしていても何ら不思議ではないのに、ナルトが寒さに弱い事と、朝が苦手でも少しでも長い時間を一緒にいたいという心理から予定を遅らせる事などないサスケによって間逆の現実が展開されている。
「ナルト!」
何度目かの呼びかけの後、ようやく待っていた蜜色と今日のように晴れた空の色彩が白い肌を上気させた赤とともにやって来た。
「サスケ、待たせたってば!」
派手な足音を引き連れ階段を降りてきたナルトと共に玄関を出ると、ナルトが鍵を閉めている間にナルト専用のメットを取り出し先にシートへと跨る。
一旦外してあった藍隅茶色をした皮の手袋を嵌め、シートの後部へと乗ってきたナルトにメットを渡し、自分も被ると、サスケの腰に明るい山吹茶色のボアが付いた皮手袋をした膨らんだ両手が回され、それを合図にスタンドを足で弾き、十分に暖められたエンジンを漸く回した。
すっかりと冬の物へと変わった空気が露出している部分を斬るような冷たさで撫でていくが、背中からじわじわと移って交じる体温に相殺されるような気がし、もう少しだけスピードを上げる。
強くなった背中から回された腕の力にサスケは口の端を上げた。



同じローカル路線の同じ方面で乗る電車も同じという事は大きな幸運だ。
学校が終わった後、会えないと言われた今日のような日には特に。
満員よりも少し少ない人数で埋められた車両内でサスケは思った。
そしてここ最近そう思う日が非常に増えている。
サスケの記憶に間違いがなければもう2週間近くナルトと朝以外には会えていない。
その不満が如実に表れたのだろう、ナルトは頬を掻いた。
「店長に頼まれて断れなかったんだってばよ」
「断れ」
間髪入れず返されたサスケの声は不機嫌を彩ったままだ。
高校生という自分達には部活などをやっていない分、比較的に時間はあるはずだった。
例え別々の学校に通っていたとしても、家がそう離れていない二人ならば朝以外にも放課後毎日会う事は不可能ではないはずなのだが、それが不可能になっている理由はひとえにナルトがやっているバイトにある。
夏休みが明けて暫くして、ナルトが夏休み前に入っていたバイクショップと喫茶店が一緒になった店に復帰してから会う時間が目に見えて減って行った。
ほぼ毎日、学校が終わってから直行し、閉店時間までバイトに勤しんでいるのだ。サスケに会う時間など出てくるはずがないだろう。
「忙しくて困ってんの知ってて断れねーって。それにやっぱちょっとでも貯めたいしさぁ」
そう言って頬を膨らませたナルトがバイトに励む理由に冬休みに二人でまたバイク旅行をする計画をしたから、その為の資金稼ぎもあるとは知っている。
だからこそ今まであまり強くは言えなかったし、益々ナルトと会う時間を作るのは難しくなるだろうと分かって未だに決めかねているが、サスケ自身もまたバイトを始めようとは思っていた。
貯金がある事はあるが、出来るだけ親から与えられたものは使いたくなく、自身で稼ごうとは思っていたがより時間が擦れ違う思えばバイト選びも出来ていない。
それほどに会えていないのだ。
旅先でずっと過ごした日々が終わり、ほぼ毎日会えていた一ヶ月を除けばナルトと朝以外で会えたのは定休日のたったの2日だけ。
どちらも放課後の短い時間のみで、土曜や日曜といった休日を丸々一日、というのは一度もない。
いくら資金稼ぎがあるとはいえ、やはりどう考えても。
「入れすぎだろ。そんなにフルで入らなきゃなんねーほどでもねぇだろうが」
一緒に計画を立てたサスケには予算が分かっている。夏とは違い、期間の短い冬はそう予算は前よりも掛からないし、二人で割れる分、サスケ自身前よりかなり安くあげられた。そこから考えればこのままいけば予定を遥かに上回る額をナルトは稼ぎだせるだろうと分かり、不服が多いにあるサスケは常になく食い下がる。
「そりゃそうなんだけどさー。店、今人手足りてなくてホントに忙しいんだって。店長の他にオレしかいねーから」
ちらっと上目遣いに言われれば弱い。
じっとすまなそうに見つめる青目は小動物のように丸く小さく揺れ、目元や頬は少し赤くなっていて、尖らせた唇はそれよりも紅く目を惹き付ける。
こんな強請り方を一体どこで憶えてきたと、ナルトと付き合いだしてから惚れた弱みというものを存分に味わうようになったサスケは溜め息を一つ吐いた。
「…しょうがねぇな」
眉根は依然寄せられたままだが、寸前の険しさはなくなった声にナルトはこそばゆくなり、小さく笑みを浮かべる。
「へへっ、サンキュー、サスケ」
ほんの少しだけ顔を顰めた、はにかむような笑顔を見せたと同時に電車はホームへと到着し、ドアを開いた。
サスケは唐突にナルトの腕を掴むと、入れ替わる人の波に乗るように開かれたドアを潜りホームから階段を降りる。
本来、二人のうちどちらもが降りる駅ではないのに。
「ちょ、サスケ!ここ降りるトコじゃねーって!」
慌てるナルトの腕を離さず、迷いなく足を進めるサスケは朝の忙しさから人気のない男子トイレへとナルトを連れて入ると、個室の鍵を閉めた。
「サスケ、学校遅れっ…!」
ナルトの焦りを一切無視したままのサスケに背後の壁に身体を押し付けるように多い被さられた気付くと同時に、抗議をしようと開いていた口に舌が侵入し、赤くふっくらとした口唇を食まれる。
きつく目を閉じるとざらりとした感触が上顎を浚われ、背が粟立つように震えたのを耐えるようにサスケのコートを掴んだ。
「っ…んっ……ふ…」
何度も角度を変えて深く浅く貪られ、息さえもままならず頭の芯が次第にぼぅっとしてくるが、口腔を蹂躙する熱と擽られる快感にそれすらも気付かない。
音を立てて下唇を吸われ、開放されたナルトの口端から飲み込みきれなかった唾液が伝い、追うようにサスケの舌が舐め取った。
「っはぁ……」
それだけでも僅かな刺激となってぴくりと身体を揺らし、うっすらと潤ませた青を開いたナルトにサスケは満足そうに微笑したのが見える。
「これで我慢してやるよ」
にやりと口角を吊り上げて笑った顔にナルトは頬に熱が集中して冷え切った外気がより寒く感じるが、それどころではなく、心臓の過負荷に胸を掴み、サスケを睨みながら自由になった口を大きく開いた。
「っ、アホーー!!」
個室の外にまで響いた大音量のすぐ後に、鈍い何かがぶつかるような音が小さく鳴った。



ナルトが教室の席に付くと同時にクラス担当である教師が入ってくる。
本当に遅刻一歩手前だったと、走ったせいで未だに早鐘を打つ胸に手をあてた。
「お前、よく間に合ったな〜」
くたり、と机に顔を埋めかけたナルトに、幾分抑えて声を掛けてきたのは幼稚園から高校までずっと一緒と言う腐れ縁が続いた幼馴染である親友の犬塚キバだ。
言葉通り関心している様子の他にどこか面白がる様子が浮かんでいて、ナルトは頬を膨らます。
「ホントに大変だったんだかんな…!」
唸るように言ったナルトにキバは今度はしっかりと笑った。
「そりゃそうだろ。あんな時間にあんなトコで降りてんだからよ」
やっぱり面白がっていたのかと怒るよりも急に降って湧いた遅刻しかけた理由の核心にナルトのくるりとした蒼眼が一回り大きくなる。
「へ?」
「オレが乗る駅はあそこだって、お前も知ってんだろ。しっかし驚いたよな〜。これから乗らなきゃいけねー電車からお降りて行っちまったんだからよ」
「キバっ、見てたってば!?」
聞くまでもなくそうなのだろう。
キバはますます深くした笑みと、楽しい事を前にした愛犬と同じように目を輝かせた。
「ああ、しっかりと見たぜ。一緒に居たの『コイビト』のうちはサスケなんだろ?」
言葉の形は疑問を取っていたが口調は確信に満ちている。事実その通りなのだが、わざわざ恋人という部分を強調するキバにナルトは羞恥から肯定をすぐには返せなかった。
だが鮮やかな朱が顔中に広がったナルトの反応は肯定しているのと」じで、キバはやっぱり、と犬歯を見せる。
キバには夏休みの旅先でサスケと知り合った事や、恋人として付き合うようになった事など全て話している。
打ち明けた時は酷く驚かれたが、すぐに「良かったじゃねーか」と言ってくれた事は今でも嬉しい思い出だ。
男同士で付き合うとことになったと言ってもそれを気持ち悪がらず、普通に祝ってくれたキバをナルトは良い奴だと思うけれど、そんな部分だけではないというのもナルトは長い付き合いで良く知っていた。
「朝から仲良く手を繋いでコイビトとどこ行ってたんだよ?」
「ど、どこって…」
案の定、好奇心と感情の現れやすいナルトをからかう楽しみを存分に満たすべく発せられたキバの問いに走ってきたからではない、別の理由で鼓動が速くなる。
ナルトは答えとなる今朝の出来事が脳裏に浮かび、それこそ白い部分が無くなったのではなかと思えるほど、首や耳朶まで真っ赤に染め上げた。
柔らかくも荒々しく絡められた熱が口唇に甦ってきて、火が出ているのではないかと思うほど熱くなってくる。
軽くからかってやろうと思っただけだったキバは、予想以上のナルトの反応に何かあったとすぐに分かった。こんな風にあまりにも素直すぎる反応を返してくるからナルトをからかう事を止めれない。
「ンだよ、言えねーのかよ?ひょっとして言えないようなコトでも朝っぱらからしてきたのか?」
ナルトが同年代の男子よりも遥かに色事には晩熟だと知っていたキバは本当にただの、いつも通りのからかいのつもりで言っただけなのだが今日はそれが当たってしまっていた。
人によればただのキス一つ、と思わなくもないのだろうがナルトにとっては十分に言えないコトだったりする。
「なっ!違うってばよ!べべべつになんもしてねーもの!!」
図星からくる動揺を隠すためにナルトは力いっぱい否定した。
立ち上がり、大きな声で。
「そうだよなぁ、ナルトォ。なんもしてないよなぁ。オレの話も聞けてないんだからなぁ…!」
怒気を孕んだ声が抑えられているのはこれから爆発させる為だとナルトは良く知っていた。
大好きな担任である海野イルカが文字通り青筋を立ててナルトの横に立っている。
「い、イルカせんせー?オ、オレってばちゃんとせんせーのハナシはきーてたってばよ!?」
握られたイルカの拳がどう使われるのかも良く知っているナルトはそれを少しでも回避すべく足掻いてみるが、それは本当に無駄な足掻きでしかなく、むしろ怒れる炎に油をぶち込むことになってしまうのに。
「ほぉ〜〜〜。そうかそうか。ならさっきオレが言った明日の小テストがある教科が何なのか言えるな?」
「えっ!?小テストってナニソレ!」
小テストという聞きたくないけれど聞き捨てにも出来ない単語にナルトは嫌いな物をたべさせられた子供のように顔を顰める。
結果、イルカの拳はやはりいつものように金色の旋毛に落とされ、隣で声を噛み殺しきれず、肩を震わせて笑うキバを青い目が心底恨めしそうに睨んでいた。



席に着いたサスケは、少し熱を持ち始めた頬に手を当てた。
駅から数分という非常によい条件の立地のお陰でさほど焦らなくて済んだのだが、走った後のように頬に血が集まっている。 正確には方方だけだが。
「ったく、何も殴ることはねーだろ…」
甘く柔らかな唇と、必死で受け止めてくれる舌と粘膜の感触、次第に腕の中に落ちてくる重みを堪能した後、密着していて、すぐ近くにあった身体から殆ど不意打ちで繰り出された拳は避けようもなくサスケの左頬に入った。
ここ最近の欲求不満に重なるように見せられた、まるで誘っていたとしか思えないような、あまりにも可愛らしい――と本人に言えばもう一発食らっていたであろう――笑顔に我慢出来ず、時間や状況などを一切無視して駅に降ろしたのは確かに悪かったと思う。
だがナルトが怒った主な理由はあの後盛大に浴びせられた「エロ」だの「スケベ」だの「いきなりちゅーすんな」だのの罵声から察するに、キスした事自体にあるらしい。
仮にも恋人同士なのだからキス一つしたくらいで殴らなくてもいいだろう。
そう思い、多少なりとも不機嫌になるのだが、同時に羞恥に染まり、透き通った青をより深く潤ませた瞳を思い出し、自然とそう悪い気分ばかりでもなくなる。
「よぉ。随分と男前になってんじゃねーか」
眉間の谷間を僅かに緩くしたところで、無表情に近い仏頂面のサスケに声を掛ける人間など限られていた。
数少ないサスケが多少なりとも会話をする人物である奈良シカマルが少し楽しげな光を湛えながら、サスケの隣にある自分の席へと腰をおろす。
明らかに不自然に赤くなっている方頬へと視線を注がれ、サスケの不機嫌さが回復したが、そもそもサスケのそんな態度には慣れているので別段、気にもせずシカマルは喉を鳴らした。
「何があったか知らねぇが、珍しい事もあるもんだな」
シカマルらが通う学校は地元でも有名な進学校で、そこの生徒なればかなりの難関の受験をくぐってきた文武で言えば文の方に寄った者が多いが、完璧主義者といわれるサスケは武の方、スポーツだけでなくその実喧嘩なども決して不得意ではないとそこそこの付き合いの長さがあるシカマルは知っている。
顔という目立つ場所にそんな派手な痣を付けられるなど本当に珍しく、それでいて最悪というほど機嫌が悪くない様子に、面倒だが面白いとシカマルは笑わずにはおれなかった。
「煩せぇ」
短く言い捨てたサスケに事情を話す心算はないし、シカマルも無理に聞き出す気もないのでそのまま沈黙が続き、暫くして入って来た担任の声が流れ始め、さも真面目に聞いているような顔の下でサスケの頭の中は惹かれずにはおれない色彩を持った一人の事だけに占領されていく。
会いたい、と想う。
別れて1時間も経っていないが、それでももう足りない。
これでもう今日は顔を見る事が出来ない。
ナルトがバイトを終えるのは夜の9時半。家に着くのが10時。帰りの駅から家までの道は歩いて帰るといってナルトは頑として譲らなかったので、ナルトを感じられるのは後は寝る前に必ずする電話で声を聞く時だけだ。
そうしてまた夜が空けるのを待たなければあの熱も色も声もどれ一つとしてサスケの腕の中には戻ってこない。
矢張り僅かな時間の逢瀬などでは満足など到底出来ないと吐いた溜め息は思うより重かった。
どうにかして現状を変える方法は無いのか。
仕方ないとは言ったものの己の忍耐が持つかどうか。今ですらもう怪しい。
「…というわけで、今日は5教科と選択教科の実力診断テストのみで午前中授業終了となる。急な変更で悪いが以上だ」
取り敢えず現状で会う時間を増やす方法を見つける方が先決か、と無理矢理にでもナルトの迎えを始めようかと考えた先に担任の言葉が耳に入ってきた。
必要な情報は聞き逃さない要領の良い耳を持った男は、願ってもない変更に裡で笑みを洩らした。
それが長年染み付いたポーカーフェイスを崩して浮かび上がっていると気付かず、偶然目撃した隣のシカマルを些か気味悪がわせていたとも知らず。



窓の外が騒がしいとは思っていた。
だが差し迫った時間にあまり気にする事なく、ナルトは勢い良く教室を飛び出す。
「ナルト!帰りに本屋寄ってかねぇか?」
「わりっ!今日もバイトがあっからパス!」
廊下にいたキバに片手でごめん、と伝えると階段へと駆ける。
2年であるナルト達の教室は三階という最上階にある為、三階分の階段を、ゆっくりと降りる生徒や逆に上がってくる生徒達をするすると身を躱しながら降り、小さな旋風のような勢いで蜜色が抜けていく。
下駄箱まで1分と掛からずに到着したナルトはそこでいつもらしからぬ大量の女の子の波に遭遇した。
皆一様に慌てたように下履きから外靴に履き変え、飛び出していく。
まるで今のナルト自身のように急いでいる。
何かあったのだろうか。
「あらナルトじゃな〜い。アンタももう帰んの〜?」
小首を傾げていたナルトの後ろにいつの間にか立っていたのはキバと同じく幼稚園からの幼馴染の一人、山中いのだった。
「うん。てかこれからバイト。いのももう帰んの?今日は部活があるって言ってなかったっけ?」
チアリーダー部に所属するいのは確か県大会の決勝がもうすぐあると、昼休みに勝気な性格そのままに闘志を燃やしていたはずだ。
「あるわよ〜。でも今はちょっとそれよりも大事なコトがあんの」
外靴を取り出して、他の女の子達のように履き変えると手ぶらで校舎を出ていく。
同じように履き変え終わり、校門へと向かうナルトは必然的に一緒に並ぶようになる。
「なぁ、何かあんの?何でこんなに女の子がいっぱい出てきてんの?」
「あるに決まってんじゃない〜!っていうかあるかどうか確かめに行くのよ〜。あ、そうだ、アンタがこの間言ってたプランタ届いたから明日持ってきてあげるわ」
「マジ?いの、サンキュー!」
分かったような分からないような答えを返され、ますます首を傾げる前に次の話題へと頭の中が切り替わったナルトはぱっと顔を輝かせる。
いのの家は山中生花店という花屋をしており、父譲りのガーデニング趣味があるナルトは昔からよく世話になっていた。
素直な礼と見ている方が嬉しくなるような笑顔にいのはくしゃり、と少し自分よりも高くなった頭を撫でる。
「可愛いからいーわよぅ〜」
「それを言うならカッコイイだってば」
貰いたいものとは違い、いつも戴くあまり男としては嬉しくない褒め言葉にナルトはむぅっと口を尖らせた。柔らかそうな白い頬が膨れてより丸みを帯びると、元より童顔なのもあり、とても高校生には見えない。
「やっぱアンタって可愛いわ〜」
もう一度触り心地の良い髪を梳くように頭を撫でるといのは嘆息した。
「だから」
「ああっ!やっぱりホントだったのね〜!」
再び間違い――ナルトにとっては断じて間違い――である褒め言葉を訂正しようとして、突然上がった悲鳴にも似た声に遮られる。
何がホントなのだろうといのが駆けるように足を向けた方向に目をやれば黄色い声と女の子の壁に囲まれた黒い影が見え。 「サスケ!?」
今度はいのでなく、ナルトがそれこそ悲鳴のような大声を上げる事になった。



「次の信号を右な!」
強い向かい風に目を細めながらナルトは聞こえにくくなっていると思い、後ろから声を張り上げる。
抜け道を通る黒の車体は、ナルトの持つ原付きのズーマーよりも安定した重みのスピードを出していて、その分感じる空気の抵抗も大きく、これぐらいの声を出さないと聞こえないはずだ。
首の後ろから掛かる、男にしては少し高めの声にサスケは顎を引いて了承を伝える。
そう声を上げなくてもいい、とサスケは思いながら。
ナルトの声は他の音と違い、どうあっても拾えた。
「しっかしビックリしたってばよ〜。サスケ、いきなりガッコ来んだもん」
煩わしいノイズの中でナルトの声だけが透明で浮き上がっていて、いつもするりと入ってくるので、しみじみと呟かれたこの声も当然サスケの耳に届く。
「いきなり午前中で終わって暇だったんだよ」
事実と嘘を織り交ぜた言葉にナルトは疑いもせずに頬を膨らませた。
「それでもメールぐらい入れろってば。もしオレが帰った後だったらどうすんだよ」
「出てきた奴にまだ居るって聞いてたし、もし帰ってたら追っかけた」
「あ、そ」
さらりと切り返され、ナルトは見えていないはずの顔を少し隠すようにサスケの背に当てる。
何だか言われた事が堪らなく気恥ずかしく思え、僅かではあるが見えていたサスケの横顔を見ていられなくなったのだ。
どくどくどくと少しだけ速くなった心音を抱えながらナルトは校門での人だかりの中心で見たサスケの仏頂面を思い出す。
まさに壁と言うのが一番合っていると思えるほどの人だかり――それも女の子ばかり――の中心にされていたのは黒と銀のシルエットが綺麗な車体に腰を掛けていたサスケだった。
ここ最近ずっと見ていた制服姿ではなく、黒のヘンリーネックのとコーデュロイビーコート、褪せた色のジーンズという私服姿でいたサスケに思わず声を上げてしまい、引き寄せた女の子達の視線とサスケの明らかにほっとした顔につい笑いが込み上げてくる。
「何笑ってんだよ」
肩を揺らした振動がぴたりと合わさった胸を通してサスケの背にも及んでしまい、訝しげなサスケの低い声が流れてきた。
「べっつに!ただサスケがあんな困ったカオすんなんて珍しーよな!」
少し身を乗り出し、見えた顔はあの女の子達に囲まれていた時のように顰められている。
「何言っても全く聞かねぇ。消えろっつてもいつまでもいやがる」
腹の底から吐き出したサスケにナルトの方が険しい顔となった。
「おまっ、女の子にそんな酷いコト言ったのかよ!?」
「ウゼェんだからしょうがねぇだろ。大体人を珍獣か何かみたいにじろじろ見やがって胸クソわりぃ」
確かに女の子達がサスケを取り囲んでいたあの状況は少し変だとは思うし、中には勝手に携帯カメラで写していた子もいたらしく、それに関しては嫌だというサスケの言い分が分からないではないけれど。
「でもさ、やっぱもーちょっと言い方ってあんだろ?今度からはそんな風に言うなよな。女の子には優しくするもんなの!」
「面倒くせぇ」
思わずクラスメイトの口癖を呟いてしまったサスケにナルトは頬を膨らませた息を吐き出した。
「モテる男はゼータクだってば」
どうやら地元の女の子の間ではちょっとした有名人らしく、ああやって取り囲まれた事も初めてではないらしい。
そういえばキバにサスケの名前を出した時『あのうちはサスケ』と言われたような言われなかったような。
おまけにいのにはサスケの事をまだ言っていなかったというか言い忘れていたせいで、別れ際に「明日どういう事か話しなさいよ〜」と断れない笑顔で約束させられ、ナルトは頭を悩ませる。
昔、小学生の頃だが初恋の女の子の名前を言わされ、その時の恥ずかしさを思い出し、きっとあの時のように聞かれるのだと思うと自然と顔が火照ってきた。何だか今日一日中、顔の温度が高かったような、そしてそれの原因は全てサスケにあったと気付く。
「あーもう…バカサスケ!全部テメーのせーだっ!」
湧き上がった気恥ずかしさと、振り回されている事への腹立ちのまま軽く背を叩いた。
ナルトにとってはあくまで軽くのつもりだったのだが、男にしては細い腕に似合わない力の強さで、殴られたサスケの背は結構な痛みを訴える。
「いっきなり、何しやがるウスラトンカチ!」
車体を揺らすようなヘマはしないが、心情的には十分揺れていても不思議ではない衝撃に必死でバランスと取る。
「うるせー!その変なあだ名やめろっての!とにかくサスケのせーなのが悪いんだろ」
「意味分かんねぇ事言ってんじゃねぇ」
「イミワカンナク、あっ、サスケここ左!左曲がれって!」
交差点のほぼ真ん中近くで急に指示され、車体は大周りをして無理矢理左折した。
この筋を一つ違えるとかなり遠回りになるので、ナビ役のナルトはほっと息を吐くが、運転をしているサスケには不満が残る。
「もっと早く言えこのウスラドベがっ!道はテメーしか知らねーだろう!」
「ドベって言うな!…けど、ごめん」
話しに夢中になってすっかりナビが疎かになっていたのは事実には違いなく、素直に――多少ばつが悪そうではあるが――謝った。
珍しく素直な謝罪に可愛い、と思えて怒りが持続しないサスケはそれ以上は黙ってバイクを走らせる。
「あとはさ、ここまっすぐ上がっていけば左手にあるってばよ。アクトって店で、バイク並んでっからそれが目印」
今向かっているのはナルトのバイト先で、サスケは道を知らない。
二人乗りのバイク上で道を知っているのはナルトのみ、遅刻して困るのもナルトのみで、今度は通り過ぎたりしないよう前もって告げると、数十メートル先に店が見えてきた。
「あ、あれ!あの緑の屋根の店がそう!」
ぎゅっと身体を押し付けるように腕を伸ばしたナルトの指先に、能力の屋根の喫茶店とその隣にショウウィンドウが光を反射するのが見える。
首と背に掛かる重みにざわりと蠢くものを感じ、理性をいつものように動員して抑えながら左のウィンカーを出し、安全に左折を行った。
店の前にある広い駐車場に止めると、後部座席からの圧みが無くなり、仕方ないと頭で理解しつつもサスケは物足りなさを憶える。
「サンキュー、サスケ」
メットを返して携帯の時計を見れば自然と笑顔になった。
いつもならば電車に乗り、そこから徒歩となるので時間ぎりぎりになのに比べ、今日は入店時間より10分近くも時間がある。
「折角だし、寄ってくだろ?コーヒーぐらいは出すってばよ」
浮いた時間を少しお礼に使ってもいいだろうとナルトは誘ったのだが、言われずともサスケは寄るつもりだったりする。
そもそもナルトをわざわざ迎えに行ったのも、場所の知らないバイト先に押しかける為だったのだから当然ここでさようならなどと言う気はさらさらない。
バイトで会えないなら、会いに行けばいい。
「ああ、いいぜ」
取り敢えず目先の問題解決方法を選択し、成功したサスケは、メットを外し、エンジンを切ったバイクから降り、裏口に向かったナルトに促され、正面から店内へと入る。
店内は大きく天窓が取られているせいで自然光の明かりが溢れており、木材を中心としたインテリアの落ち着いた雰囲気は静かで、数組の客がいたが雑音には遠く好ましかった。
「あ〜いらっしゃ〜い」
入ってすぐにあまりにもだらけた声を掛けてきた人物を見なければ、サスケはこの店をすぐに気に入っただろう。
片方の目には眼帯、口元には大きなマスクをして顔の大部分を隠し、18禁と書かれた小説を手にしたそいつの姿を見て不信感を抱かない方がおかしい。
はっきりと見える方の目も胡乱気で怪しい奴だと思うには十分過ぎ。
「カカシせんせー、こんにちは!」
「お〜ナルト。今日もカワイイねぇ〜」
制服のブレザーを脱ぎ、エプロンを付けて出てきたナルトに抱きついた時点で怪しい奴を通り越して警戒人物へと認識が変わった。



夜9時まで営業、バイクと珈琲の店『act-アクト-』という文句が書かれた、少し珍しくなったマッチケースを弄る。
店内には客は多く、カウンタの席はサスケが座る他の椅子もほぼ埋まっている状態だ。
意外にもというか、そもそもこんな変態野郎が経営する店に客が入るのかが謎だと密かに毒づく。
サスケはちょこまかとよく動く蜜色と、客に向けられる満面の笑顔に苛立ちを昇らせつつ視線をずっと逸らせないでいた。
「ナルト、次これ5番テーブルのお客さんね」
「りょーかい!」
注文された品を置き、やっとカウンタの奥に入るのかと思えば、またすぐに出来上がった品を運びに行く。
ゆっくりどころか少しも話す事が出来ない。
当たり前だがナルトはここで働いていて、サスケの相手をしている暇などないと分かってはいるがどうしても不満が募る。
客にそんな顔見せんな。
愛想良くすんな。
そこの客、ナルトと何話してやがる。
どれも酷く自分勝手な不満だが、募らせている本人にその自覚はない。
そして増殖する眉間の皺の数の最たる原因は目の前で料理やコーヒーを次々と上げて行く変質者だった。
「カカシせんせー、これ片付けてもいいよな」
「ナルトはホントにいい子だねぇ」
コーヒーの豆を挽いていたカカシと呼ばれた男は片方だけ出ている目を細めると、わしわしと皿を手にしたナルトの頭を撫で、ついでとばかりにあの柔らかなナルトの頬へと手を滑らせ、軽く摘む。
もう何杯目か忘れて追加注文したコーヒーのカップを握る手が震える。
こうして事ある毎にナルトへとわざわざ、まるで見せつけるように触れるのだ。
「いひゃいっての!」
しかも文句を言うナルトも本気で嫌そうにしているわけではなく、むしろ少し嬉しそうに笑顔でそれを受けているのがよりサスケの不快指数を跳ね上げていく。
「おい、カカシ。こっちにちょっと出てくれ」
耐え切れずサスケが口を開こうとした矢先、髭面のかなり体格のいい男が扉一枚で続いているバイクショップの方から顔を出した。
「はいはいっと。しょーがないから行ってくるけど、なんか入ったらすぐ呼びに来なさいネ」
頬を摘んでいた手でもう一度ナルトの頭をぽんと撫でると、カウンターの奥から出ていく。
「ナルト、悪いがちょっとカカシ、借りるぞ」
「注文も全部出したし全然ヘーキだってばよ、アスマ先生」
軽く手を上げてナルトに断りを入れた、アスマという男に悪くないからさっさとその変態を連れていけ、と念じながら遠くなっていく変態の背中をサスケはせいせいした気持ちで見遣った。
漸くカウンターに落ち着いたナルトは今度はシンクの洗い物に手を付け始めたが、その場所はちょうどサスケの前で、そう悪くは無い状況にやっとなれる。
「一体何なんだ、あの変態は」
地を這うように絞り出された低い声は不機嫌を軽く飛び越えていたが、ナルトには通じないらしい。
「変態って、ひょっとしてカカシせんせー?」
斜め上に目を泳がし、小首を傾げて聞いてくる。
可愛いと平素であればそれを堪能する気にもなれたであろうが、今はこの鈍さに腹立たしささえ憶えた。
「他に誰がいんだよ」
「まぁ確かにエロ小説いっつも読んでるけどさ」
かちゃかちゃと食器を漱ぎながら同意したナルトの理由とサスケが言う理由は違う。
サスケが変態呼ばわりするのは勿論、臆面もなく堂々と客の前で18禁小説なんぞを読む所にもあるが、何よりもカカシを変態と断じるのはナルトへの数多くの痴漢行為が原因だ。
先ほどのようにナルトの頭を撫でたり、頬に触れたり、抱き締めたり、世間一般ではスキンシップに該当するであろう事柄だが、サスケには可愛いだの何だの言いながらいやらしい目つきと手つきでナルトに触れるのは痴漢行為としか思えない。
何よりナルトに向ける眼がサスケと同種のもので、ナルトに触れながら時折サスケに投げられる挑戦的な眼線はカカシが腹に持つ感情を如実に物語っていた。そんな下心のある奴がナルトに事ある毎にべたべたと触るなど痴漢行為と断罪するには十分すぎる。
「でもカカシせんせーはせんせーだってばよ」
カカシから向けられる感情に全く気付いていないナルトは漱ぎ終えた食器を食器乾燥機の中へと入れていきながら、一人納得したように頷いた。
「何だそりゃ」
「うーん、そのまんまってか、オレのバイクの先生。オレ免許取る時も、初めて二輪乗った時もカカシせんせーに教えて貰ったんだってば」
「免許って自動二輪のか?」
「そ。だからせんせー」
一般的なバイクの免許は排気量によって分けられ、50cc以下の原動付き自転車、125cc以下の小型限定普通自動二輪、400cc以下の普通自動二輪と年齢が18歳以上から取得可能な排気量無制限の大型自動二輪の4種類がある。
ナルトは乗っている車体こそ50cc以下の原付だが、免許自体はサスケと同じ普通自動二輪を持っていた。
原付の免許は運転免許試験場で行われるペーパーテストのみでさほど難しくないが、それ以上の物だと実技試験が入ってくる。
取り方も教習所に通い、当日試験場で実技試験や学科試験などをパスして取る方法と、サスケが取った飛び込み、試験会場で直接試験を受けて取る方法と2種類があった。
クラスのよって内容が変わるが、簡単なコース説明の後すぐに開始される実技試験は教習所で取得出来るようになるまでは落とすための試験、などとも言われていた事もある。
自動二輪の免許を取るのに飛び込みで行くのならば確かに誰かに教えてもらわなければ合格は無理だろうが、何もあの変態でなくともいいだろうとサスケはナルトがカカシに懐いている理由の一端を知り、尚の事不愉快な気分になったが。
「カカシせんせーってすげー上手いの!前は父―ちゃんと国内だけじゃなくて国際レースにも出ててさ。しかも改造とかのセンスも腕もすっげぇの!」
弾み、少し興奮した声と青い瞳にはカカシへの純粋な尊敬のようなものが滲み出ていて、それは矢張り面白く無いのだが嬉しそうに言うナルトにカカシへの罵言を飲み込んでしまった。
「オレもいつかライセンスとって世界耐久選手権に出んのが夢。てかぜってー出る」
繋がり、何気なく零されたその言葉は、さらりと何でもないようにぽつんと出されたが、決して軽くなく、真剣なものだった。
硬質な強かささえ感じるナルトの声と顔に、サスケはぞくりと背を走るものを感じた。
「ライセンスって、国際のか?」
「うん。けど国内のAライも取れてねぇからまだまだ先だけど、でもいつか出る。レースによっちゃ必要ないけど二輪の大型も取って、もっと乗って、レース出て、そんで8耐で優勝する」
じっと真っ直ぐ見つめる青は肉眼のままに映るものではないものを見ていて、衝動にも似た何かと、酷い苛立ちを同時にサスケの裡に生まれる。
「8耐って、あの8耐だよな?」
「おう!どのチームよりも速く走ってやる」
少しでもその視界を自分の方に戻したくて分かりきっている事を聞いたサスケにナルトは嬉しそうに頷いた。
通称、8耐とは国内で行われる世界耐久選手権の一つで、真夏の炎天下のロードを文字通り8時間耐久で走り続けるレースで、ライダーであればその殆どが一度は出たいと憧れるレースでもある。
このレース期間にはたった一つのレースしかないのではなく、バイクの他にもエンデューロレースなども行われているが、ナルトが出ると言ったのは恐らくST戦だろう。
バイクレースは三つに大きく分かれ、開催されるサーキット独自のXXフォーミュラ、JSB戦、ST戦となり、最大のメインは矢張りXXフォーミュラだが改造範囲の広さや、6位以内の入賞者には後にバイクを売らなければならないなどその他様々な規約があり、参加しているのは企業やメーカーのチームばかりだ。
JSB戦はXXフォーミュラほどではないがやはり改造規定が厳しい上に、こちらは国内のみの参加となり、国際レースではない。一番比較的に出やすい、というよりも出れる可能性がある世界選手権がST戦だった。
無論実質はそれだけではないが、単純に言えば規定の車体と国際ライセンスがあれば出れる。
国際ライセンス自体、16歳以上から取れる初心者用の国内Bライセンスと呼ばれるものからレースの出場回数などのステップアップを踏んで行き取得出来る、国内A、国際Bの上にあるライセンスで、一介の高校生にはかなり難しい。
時間や予算と言った問題の他に当然レースは一人では出場出来ない。エンジニアやピット補給などのサポートをしてくれるチームメイトが最低でも6〜7人は必要だ。
そして何より8時間という長い時間を走りぬく為のもう一人のライダーも。
第3、第4の予備ライダーを登録しないという無茶をしても、二人一組なのはルール上避けられない。
いるのだろうか。
その誰かが。
ナルトが信頼を寄せ、背中を預け、他の何も見えていないように眼を向ける世界に共に立つ相手が。
眩暈がした。
腹の底の底から、重く広がり、全身を焼き尽くす不快なそれは嫉妬だ。
自分以外の誰かが、ナルトの一番近い位置に在ると考えるだけで頭が白く焼き尽くされるような怒りよりも強く激しい感情に支配される。
カウンターテーブルの下で握り締めた手の指が白くなり、爪が肉に食い込むが痛みすら気付けない。
「誰と走るんだよ」
大きすぎた感情を乗せる事など出来ず、吐き出された声は平坦なものだった。
「……いねーってば」
それまで大きくなくとも明瞭に飛び出していた言葉が途端、小さく口の中で籠もったようなものになり、サスケは一瞬聞き間違えたかと思った。
「何だって?」
「だから!いねーの!キバとか、ガッコの友達でレースに出るほどバイク好きな奴はいねーし、カカシせんせーとかこの店で知り合った人は皆もう別のチームに入ってるし、だから…いねぇ」
悔しそうに唇を結んで突き出したナルトに、サスケはぐったりと力が抜ける。
つい先ほど憶えた無いものに向けた嫉妬の大きさの反動のように。
「………それでどうやって出るんだよ、ウスラトンカチ」
脱力したサスケを呆れ、馬鹿にされていると勘違いしたナルトは顔を赤くして眉を吊り上げた。
「オレはそんな名前じゃねぇし、そのうち見つけっからいーの!」
「ならオレにしろよ」
「へ?」
怒りで深い青色に変えていた瞳がきょとん、と丸く窄められる。
「へ、じゃねぇよ。オレと出ないかって言ってんだ。ちゃんと聞いとけドベ」
「ドベでもねぇって、てかマジ!?」
半年もしないうちにすっかりと癖のようになった言葉を交わしつつ、意味がしっかりと飲み込めたナルトは驚きを飲み込んで少し呆けた顔をした。
「嘘で言うかよ。元々興味がないわけじゃなかったし、機会がなかっただけだ」
それは本当に嘘では決してない
だが本音は何よりナルトが見る、その眼の全てを向ける世界を見たい。
そして共に居たい。
それが強かったが。
それでもやるからには決して妥協するつもりはないし、中途半端な気持ちでもない。
黒曜の眼が青を射抜いた。
それは揺れもせず、どっしりと固まったものだと伝える。
「オレ、本気で8耐に出て優勝するつもりなんだけど」
「分かってる。俺もその心算だ」
「まだ国内のBライも取れてねぇけど」
「それも分かってるし、俺も持ってねぇ」
「すっげぇ難しいし大変だってばよ?」
「当たり前だろ。だからって諦める理由になるのかよ?」
この話をするたびに途方も無い夢だとか、レース経験もまだロクにないのに絶対に無理だと言われてきた。
その度に絶対に諦めないと、出て優勝してやると自分に誓いなおしたが。
それを頭から否定しない人は確かにいてくれたけど、でもこの気持ちを信じて、一緒に出ると言ってくれた人はいない。難しいから、大変だから。それは諦める理由にならないと思っていたナルトと同じ事を思った人はいなかった。
どうしよう。
嬉しい。
「ならねぇ…」
こうして違うと肯定する事が。
夢に少しでも近付けたのが。
その一歩をサスケと出せたのが。
「当たり前だ。兎に角オレと出るのか他を探すのかさっさと決めろ」
見た目にあまりそぐわない短気な性格を覗かせた声に、ナルトは鼻の奥に水が入ったような感覚が込み上げるのを抑えながら笑った。
「しょーがねぇからサスケにしといてやるってば」
くしゃりと潰れた笑みにサスケは、ナルトが自分を選んだ安堵と、共に見れる物への期待と喜びの息を吐く。
「少しは可愛くお願いぐらい言えねぇのかよ」
ナルトに向けたのはらしくなく潰れているけれど、らしい笑顔をからかう言葉だったが。
「誰が言うかぁ!」
瞬時に頬を膨らませたナルトの少し高い声は掠れる事なく、いつものように張り上がった。



きゅ、と蛇口を閉めたナルトは軽く肩を叩いていると、精算をしにレジへと立つ客が見えたらしく、ナルトはまた飛んで行った。
レジ精算を済ませているナルトの声を拾いながら、カラン、とまた客が入ったのを知らせる音も聞こえ、次いで「いらっしゃいませ」というナルトの声が続く。
本当にじっとしている暇がなく、確かにナルトが今は抜けれないと言っていたのも分かるほどの忙しさだと言わざるを終えない。
ひっきりなしに客が途切れる事のないこの忙しさなら本来ならもう一人ぐらい常時いてもいいぐらいでは無いだろうか。
レジを終えるとメニューを取り、おしぼりやお冷を盆に載せてすぐに客が座った席へと向かうナルトの後姿を追っていると眠そうな片目を晒した間抜け面が戻ってきて、ずっと思わずにはいられなかった事をサスケは口にする。
「人手が足りてないんじゃねぇのか、ここ」
脈絡なく、投げかけられた疑問というより断じるサスケにカカシは戸惑う様子など一切なく、サイフォンの温度に目を向けたままマスク越しに口を開いた。
「う〜ん、ま、そうなんだけど。募集は一応してるんだけど来なくてね〜。夕方から入ってくれるだけでも助かっちゃうけど来ないもんはしょーがないデショ。店柄、少しはバイクの方の知識も持ってて、隣から来る客が多いからオリジナルや既製品のパーツの値段とか聞かれても答えられるような奴なんだけど来なくてなぁ。ま、大変だけどナルトと二人で頑張るしかなーいね」
目を閉じて、笑ったその横顔はちっとも大変だと言う素振りはない。
「せんせー、コーヒー二つとクラブサンドと海老ピラフ!」
「はいはい。ナルト、カップと皿出してね」
「分かってるってば」
取り終えた注文票を置き、また中に入って食器を並べる側からまた客が入って来て、ナルトはカウンターから出ていく。
この様子ではこいつにナルトを休ませろと言っても、今朝のようにナルトが困ってるのを放っておけないだの何だの言って休まないだろうと容易に想像が付いた。
そしてそれを分かってて利用しているのがくるくると店内を回るナルトを見ながら料理を始めたこの男だ。
単純に入れる気がないだけだろうと喉元まで出掛った言葉を飲み込むと、サスケは徐に切り出す。
時間がない。
本当にないこの状況を打開するために。



冬の空気はその透明度がずっと高い。
瞬間的に過ぎ去っていく風と夜空を見ながら、その寒さを辛いと思うよりも綺麗だと思う方が強かった。
ナルトの家の前に着いた持ち主の眼と同じ漆黒の車体は滑らかに止まり、その鼓動を少し止めて佇む。
エンジン音が消え、夜の住宅街の静寂さの中にぽん、と飛び降りた足が地面を鳴らす音が響いた。
「サスケ、送ってくれてありがとな」
今日三回も被ったメットのフックを外し、バイクから退いたサスケへと脱いで渡す。
「明日もバイトだよな」
ヘルメット入れになっている座席部分の下のスペースにナルトのメットを仕舞いながら疑問ではなく言ったサスケに、ナルトは少し表情を曇らせつつもしっかりと頷いた。
ナルトとて本当はサスケといる時間が欲しくないわけではない。
会いたいと言ってくれるのも嬉しい。
だけれども人手がない今は仕方が無いし、他にも理由があった。それは結局はナルトの勝手とも言えるもので、申し訳なくはあるが。
「……オレ、チーフエンジニアはカカシせんせーにして貰う約束してっしさ、バイクや部品も取り置きして貰ってるのあるしあの店辞めたくねーの。だから誰か入るまでずっとこんなんだけど許してくれってば、サスケ!」
せめてきちんと理由を言おうと手を合わせ、下げた夜にも目立つ金色の頭に柔らかな吐息が降った。
「……しょうがねぇな」
苦笑に近い笑みが優しげで、知り合って初めて見るのではないかと思うほど珍しいそれがとてもくすぐったく、ナルトの裡をくすぐる。
「へへっ、サンキュー、サスケ!」
今朝の電車の中で見たようにほんの少しだけ顔を顰めた、はにかむような笑顔に、その後の行動も今朝と同じものになった。



「カカシせんせー、こんにちは!」
カラン、と銅製の鐘が押し開かれた扉とともに揺れて重たげに音色を震わせるながら、ナルトは店に飛び込んだ。
「ちゃんと裏口から入れよ」
入店時間ぎりぎりで慌てたせいで裏口から入らず、客が入る普通のドアから入ってしまった事は注意されても仕方がない。
いつものように言われたのであればナルトはすぐに、素直に謝っただろう。
だがしなかった。
正しくは出来なかった。
注意したのがいっぱいに広げた目で見える、カウンターの中でオーダーをカップを並べている男をナルトは指で示し、名前を声に出した。
「サスケ…なんでいんの?」
「バイトに入ったからだろ」
ナルトが店でするようにブレザーを脱ぎ、エプロンを着けた姿のサスケがとても普通に答える。
いつもならばそこでそうやって働いてるのは自分で、というか今からもそうする予定なのだが、何故かそこにサスケがいるという自体にナルトの頭は今一つ理解と整理が出来ない。
昨日、ナルトがカウンターから飛び出していた時、サスケはカカシの面接をカウンター越しに受け、カカシの出した条件をクリアー出来るという証明にいくつかの質問をされ、店内の資料を見ていたサスケはすんなりと回答してみせ、採用をもぎ取っていた。
最初はそれでも少し渋っていたカカシも人手が足りない事実と前もって聞いていた条件を難なくこなしてみせた結果、何よりナルトに掛かる負担を持ち出され終には首を立てに振りサスケは今ここに居る。
ナルトが時間を取れないのであれば、サスケの元に来れないのであれば行けばいい。
ナルトが見ている世界を見たいと思うのと同じ事で、それはとても単純で明快な方法だった。
おまけにこの変態がナルトに手を出すのも防ぐにも非常に有効的だ。
昨日まで悩んでいた問題の強引で唐突な解決に呆然とするナルトの前でサスケは至極満足そうな笑みを刷いた。




















(終)


嫉妬深くストーカー気質なサスケが好きなもので…!(言い訳スタート)
サブタイトル、ナルトといつも一緒でサスケさん満足満足の巻というか、すすすみません!駄文な上にこんなんで;;
折角ヒッチハイクの続きをと嬉しいお言葉を頂けましたのに、こんなんで本当にすみませんー!(土下座)
ちょっと用語説明というか、上記にある8耐とは実際日本で行われている、鈴鹿8時間耐久ロードレースがモデルというか、まんまです(汗)3日間かけて全行程のレースが行われ、その中のXXフォーミュラとST戦(ストックスポーツ)戦が確か世界選手権になっていたと思われ…ま、す(滝汗)曖昧な知識で申し訳ありません;;世界でいくつかあるロードレースの長時間走る世界耐久選手権のは割りとペースを考えられまったりめ(それでも速いですが・笑)に走るのが他のレースなのですが、この鈴鹿8耐では走行速度が全く違い、異色放っており、そのスピード溢れるスタイルがまた魅力の一つでナルトに似合うかと思い;趣味丸出しでごめんなさい(土下座)
あと、a way out は解決策という意味です。毎度説明の必要な物をすみません; かなりお待たせして散々長い上にヘタレ全開で本当に申し訳ありませんでした;
碧様、こんなに拙い駄文ですが宜しければ受け取ってやってください。8888キリ番、ありがとうございましたー!




'05/11/22